D旗たなびく

忘却甚だしく、メモ代わりにちょっと書くだけ。 コメントは受け付けていません。

息子はまた台風の北上とともに合宿へ出かけて行った。
今も小雨が降っているが、合宿先の那須はこれから連続してやってくる台風19,20号の影響で大雨。とりわけ20号は直撃もありうる。河口湖にしろ、家内の帰省にしろ、我が家は呪われたように台風を呼び込んでいる。日ごろの行いが問われるな、まったく。ろくな夏じゃない。
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 どこにも行かないで良かったなあ。

昨日はかつて上司だった方(Sさんとしておこう)の通夜に行ってきた。私が20代後半に世話になった方だ。退職してから30年、齢90。最期となった日は2時間前までは家族と普通に会話していたそうだ。ソファで横になって眠るように逝ったと聞いた。老衰だった。
小柄でキンキンとした声が響く、とても直截な方だ。確か生まれは日本橋界隈だったから、「ヒ」と「シ」の区別がつかない江戸っ子のベらんめい口調が印象的なボスだった。
Sさんは事あれば誰に対しても真っ向から叱責するので、彼を嫌う職員も多かったが、汗を流すことをいとわず、物怖じせず行動に移そうとする彼の手腕を高く評価する人もいた。
今ではとても考えられないような上司像だ。
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私は事務方として、他の人よりも多くの時間をSさんと共有した。当時どれだけの人が私の仕事に理解を向けてくれただろう。どんな職種の仕事にも深い理解をしめしたSさんだが、私への信頼は特に篤かった。
時々誰にも漏らせないような愚痴も聞かされた。まだやっと仕事をこなせるようになったばかりで、やたら血の気の多かった若造に、あからさまな胸の内をさらすこともあった。
「こんなご時世だからさ、やるべきこと、言うべきことをはっきりしねえとなあ」
強引とも、感情的とも映るような言動の数々を、Sさんはちゃんと自覚していた。自分を反面教師と捉える人への理解もあったし、それをまた期待するようなことも言っていた。
「動かねえで、しらっと見てる奴が一番始末が悪い」

昭和の元号とともに退職なさったが、下町生まれの私にはどこか懐かしい、愚直なまでの正義感を持った近所のオジさんのように思えた。少なくとも、ことなかれで責任回避ばかりするような、或いは何もせず偉そうにふんぞり返っている御仁ではなかった。
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Sさんにはご長男と、知的障害のある娘さんがいらっしゃった。
当時、肩書を持った人が退職すると、関連業界へ嘱託雇用されるのが通常で、言わば天下り体質。
だがSさんは、退職すると即刻福祉施設のボランティアをやり始める。2年後には施設長になっていたが、頑なに自分だけは無報酬を貫いた。
きちんとしたビジョンを持ち、当時としては珍しかったパン工房を施設内に作った。
「障碍者だからって、慈善の気持ちで買ってもらうようなものを作ったりしねえから」
本格的なパン職人を雇って、障碍者への指導に当たらせ、保護者とともに天然酵母のオーガニックパンを製造販売すると、口コミでその美味しいパンは評判となり、店頭販売は2時間もすると売り切れ状態になった。
売り出した当初は、私も売り上げに協力するために、職場での予約販売を積極的にすすめたが、2年もしないうちに配達人員が確保できなくなったと逆に手を引かれてしまった。
そのパン工房は翌年、障碍者の宿泊施設と併設で八ヶ岳に移ったと聞く。
八ヶ岳SA

退職後30年で当時を知るものは少なく、盆休みの日曜日という事もあり、また訃報を受け取っても当人が動けない状況でもあるのだろう、私の知っている人は3人ほどしか来ていなかった。
あからさまに仕事の義理で、見たことも話したこともない先輩に頭を垂れる人が数人いたが、多くは福祉関係者だった。
残念なことに、娘さんと奥さんも通夜の席にはいなかった。来れない事情を推し量ると、残されたご長男の苦労が目に浮かんだ。
ささやかな祭壇は、常日頃から華美を嫌っていたSさんらしかった。
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不謹慎とは知りつつも、来れなかった人のために。(加工済み)

父や母と時代を共にする昭和の人がまた一人逝った。
私を信頼してくれた人だったのに、仕事以外でのもめごとが絶えなかった私を、身を挺して守ろうとしてくれたのも、フォローしてくれたのもSさんだった。
愚かな若造を見捨てずにいてくれたお陰で、真っ当な道を歩めているわけだ。

Sさんとは何度か職場の連中と一緒に小旅行した。
最初は私の最初の職場である八ヶ岳のリゾートだったと思う。翌年はハワイで不慮の事故にあった職員の墓参りで山形へ行った。そのうち、それが恒例行事になった。
昨夜は、そんな在りし日のSさんの笑顔を思い浮かべて供養していた。
ご冥福をお祈りする。

家内が帰省して三日目。
愚かな逃亡者が土曜だと言うのに朝7時半に出かけると言うので、早起きして炊事洗濯。クソッ!
茶会があるとかでスーツを着て出て行った。

昨日は出かける前にゴミ出しをしろと命じたにも拘わらず、そっくりそのまま残ってるし、まったく役に立たん!
私は父の主治医のところへ行って紹介状をもらっていた。
受付ですぐにもらえるのかと思ったら、先生がお話するからと言うのでたっぷり30分も待たされた。
紹介状の内容について説明された帰り際560円を請求され、確認のため父の保険証を見せろという。そんなもん私が持ってるわけもない。必要なら先に言ってよー。
だいたい、94歳の父に後期高齢者保険以外の変更があるか。保険料なんて年金引き落としじゃないの。
それでも融通が利かない事務員相手に話をしてると、最後は先生が「確認はいいから」と一言。

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 ここだよ~

家事を終えて今日はマリーナへ行く。
久々に最高気温28℃の快晴という天気予報だからねえ。風も東の4m/s、それにカラッとして湿度も低い。絶好じゃないの。
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 どこも壊れてないよ。

8月になってから一度もフネを動かしていない。炎暑、大雨、台風にさらされて気になっていたが、JOLLYHOTは全然びくともしていなかった。エンジンも一発で始動。ヨシヨシ。
なんの憂いもなく10時頃出航。
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 久々のセーリング

午前中はことさらに涼しかった。
本来ならオニギリ持って、ピクニックセーリングだが、今日も実家に行かなくてはならない。毎週土曜は家内が様子を見に行くことになっているが、帰省中はそれも私の当番になる。
まあ、おやつの時間まで乗ってよう。
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 セイルの影に入ってご機嫌のリル。

今日はYBMのイベント「もやい祭り」が夕方から催される。小規模ながらも花火も打ちあがる。
いつもだと家族で船上BBQだが、逃亡者も夜遅くなると言ってたし、実家から舞い戻るほどのことじゃない。今年はリルと二人で夕飯を食べるほかない。
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 豪華客船、MSCスプレンディド。(家に帰ってから調べた)

本線航路も今日は賑わってる。お盆明けで港湾も一気に活気づいたのだろう。学生ヨットもたくさん出ていた。全日本インカレも終わったはずだから代交代でやる気満々といった感じ。
風はアビーム。大型船と並行して気持ちよくポートタック。この風なら観音崎を目指せる。
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 ゲストいっぱいのフネが多い。

快調に猿島沖まで来たが、このあたりから風がしぼむ。
走水沖の狭い航路にはボート釣りを楽しむたくさんの人たちが赤旗を立てて”よけろ”と合図。
そのボート群を縫うようにして走る。
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 そろそろ夏季休暇も終わりなんだろうねえ。

正午過ぎ、観音崎まで来ると風が止み、うっすらと北に風向きがシフトする。
しょうがない。ここでシバー。
非常食の魚肉ソーセージをリルと分け合って食べ、ここが潮時とUターン。
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 西洋式灯台の第1号、観音崎灯台。

ここまで来ると、太平洋が望める。
時間があればもっと南下したいけどなあ。
それにしても風が真北になってしまい、帰港するにはタックを何度も繰り返さなくてはならなくなった。とてもじゃないが、クローズであのボート軍団を抜け切るのは至難の業。
ここでエンジン始動して機帆走。
まあ、ランニングで太陽を絶えず浴びているよりも、セイルの影ができる分涼しいからね。
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 わがフネの特等席はリルが占領。

28℃とは言え、直上の日光はリルには暑すぎる。大おばさんの日傘の出番。
私もオーパイ任せでできるだけセイルの影へ。それでも家に帰ると腕も脚も真っ赤だ。
なんとか2時半過ぎに帰港。
3か月以上給油してないから燃料はわずかしかない。
給油所に行って、おフネのご飯。

問題はここから。
給油中に、隣の給油バースへゲストをたくさん乗せた28ftほどのFBモータークルーザーが入ってきた。
進入角度が45度くらいで、往き足を止めてないからバウが桟橋の根元につきそうだった。(給油バースの桟橋は通常の2倍以上の長さがある)当然スタンは我がフネの方向に。
斜めになったままバックキックをいれるも舵を切らないものだから、真っすぐ下がってきて私のフネ右舷船尾近くに250馬力エンジン2基が激突!
バキっという音がした。
それでも操縦席の男は気づかず、後部席に座っていた若い女性だけが悲鳴を上げた。
給油中のバイトスタッフもビックリなら、リルもガクッと転がった。
バースに舫っていた我がフネも、丸型フェンダーが蹴散らされる。
これはただ事じゃないとバイト君がスタッフ責任者を呼んできてくれた。この時点に至っても操縦者は謝罪一つなし。っていうか、
「エンジンカバー割れてない?」などと言っている。
落水者や怪我人がいないかを心配するのが先だろ!しかも給油中だぞ。なんだこいつは?
これにはさすがに腹が立ったので、文句の一つも言おうとしたら多分オーナーと思われる初老の人が降りてきてしきりに謝った。そのアホも降りてきたが何も言わずに船体を見てるだけ。この下手くそが!
マーゴレッタ号か? 
最後には頭を下げて謝ってはいたが...とても悪いことをしたと思っている様子はなかった。
だから週末に乗りたくないんだよ。滅多に乗らない輩がゲストを乗せて船長気取りしてるからねえ。

スタッフとテンダーに乗り込み、破損個所を確認。
見た目にはゲルコートが一部そぎ落とされてるだけだが、結構な衝撃だったので内部のFRP自身が無事とは思えない。ガンネルやステーも点検しないと。
その場で保険対応を決める。で、船舶検査証や免許証を用意しろとスタッフに言われる。YBMでは最低1億円の対物保険への加入が義務付けられている。
自バースに戻って、海王さんに電話。保険対応と言われても何をどうするのかさっぱりわからん。
「スタッフの人に海王が保険修理を一切引き受けると言っておいてください」
と、心強いお言葉。とにもかくにも上架して細部まで調べないとだめだと言われる。

艤装を解き、フネ洗いしていると再びスタッフのTさんがやってくる。
「船舶検査証や免許証のコピーが事務所にありましたから、それで対応します。それにしてもあの角度はないですよねえ」
ついでに海王さんのオフィスに行って、よろしくとご挨拶。
「書類作りとかの面倒なことはこちらでやりますから大丈夫です。修理も当たる前よりきれいに仕上げますよ。怪我がなくてなによりです」
こんな時ばかり頼ってしまう海王さんだが、嫌な顔一つせず大船に乗ったつもりでと言ってくれる。
ありがたいことだ。

昼飯を食い損ねたばかりか、実家に行くこともできなかった。
仕方なく16時半にドネルケバブの午餐。
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 ジーっ。

だけどなあ。上架して点検し、修理が終わるまで乗れないってことだよねえ。
今まで放っておいて何言ってんだと思われるかもしれないけど、走らなくてもいつだって乗れるっていうのが係留の利点なんだよなあ。
なんかどっと疲れましたあ。


朝晩は多少しのぎやすくなったが、日中は未だに炎熱地獄。とてもじゃないがエアコンなしには過ごせない。いったいいつまで続くのか。
リルのために涼しい所へ行きたいが、お盆時期だからどこもいっぱい。だいたい、喫煙者は泊まれない施設が多いから、そもそもその手の宿が少ない。パイプなどふかしたら断頭台行きのご時世だけに別荘でも買うしか手がないか。
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 電信柱の影で一休み。

今日の郵便でメタボ健診とがん検診の案内が届いた。
毎年仕方なく受けてはいるが、あれもだめこれもだめと言われるから、いい加減ほっといてくれと思ったりする。どうせならペインクリニックの割引券をくれた方がよほど役に立つ。
やたら長生きしても、認知症で周囲に迷惑かけたり、屈辱的な扱いをされるんじゃなあ。
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 風のある夕方はちょっと涼しい。

父の在宅診療の初回は8/22に決まった。私も初回は金銭面の手続等があるから立ち会うことにし、ケアマネも同席することになった。
往診の結果、処置が必要となったらどうするか?
老体に苦痛を伴う検査や手術はさせたくないし、本人も投薬以外のことは拒否する考えのようだ。
体に管を通したり、電極を貼り付けたりするのも拒むだろう。
父の尊厳と、覚悟を私は守りたい。どんなに辛く悲しい結果が待っていようと、目をそらさずに見つめたいと思う。
人は必ず死ぬ。医療技術がどんなに発達しようが死からは逃れられない。覚悟を定めた老人に延命治療は必要ない。
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 楽しいひと時をできるだけ多く。

あんみつに引き続き、父の好物である豆腐を買っていく。
父は豆腐に何も足さない。醤油も薬味も一切かけない。豆腐の微妙な甘さや硬さをその老いた舌で見分ける。
「豆腐は絹ごしだの木綿だのと種類はあるけれど、私にはいい豆腐と悪い豆腐しかないよ」
スーパーで売ってる豆腐にいいものはないらしい。料理に使うならそれでもいいが、豆腐そのものを食べたい時には遠く及ばないという。
幸いにして、我が町はどういうわけか豆腐屋が多い。50m以内に3軒もあったりする。
我が家の近くにも老夫婦が営む小さな店がある。朝の8時には油揚げの売れ残りがわずかしかないような店だ。
夜更かしの私には豆腐一丁のために丘を上り下りするまでの執着心はないが、父に美味い冷奴を食べてもらうために、今日は決死の覚悟で朝7時にその店に出向いたのだった。

―本日より二日間、お盆休みをとらせていただきますー

って、こんなことなら脱獄囚に来させればよかった。
しょうがないのでさらに下って門前の商店街の一番端へ行き、父が美味いという豆腐屋で寄せ豆腐を買う。
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往きは良い良い帰りは…ずっと上り坂で汗だく。
たかが豆腐一丁で朝からバタバタ。こんなことならリルも連れくればよかった。
で、家に帰って飯も食わず、ミニバイクで実家へ持っていくとすでに9時近く。当然実家では朝食終了。
「えー、わざわざお豆腐買ってきてくれたの」
「なんだ、寄せ豆腐か。今朝も豆腐の販売車が来て、買って食べたよ」

ってさー、そういう車が来るの聞いてないし、それ言っちゃダメでしょ。
徒労の日々は暑さとともに続くのである。
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 アホか。



台風は微妙にそれて、たいした影響もなく過ぎ去ったが、もし桧原湖に行ってたらほとんど雨だっただろう。なんとなく諦めもつくがアダチ君と会えなかったのは残念至極。今では一年に一度しかない機会だからだ。
今年を最後に桧原湖キャンプはやめようと思っていたが、こういう形ではなあ。とはいえ、果たして来年の家庭状況がそれを許すかどうか…
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 牧場キャンプ場

雨の日が続くとリルが退屈する。キャンプ道具を並べ立てていた分、リルはがっかりという感じだった。一年に一度なのに「キャンプ」という言葉は覚えている。
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 つまんない。

台風通過前後の雨降りで、いい加減家の中で遊ぶのが嫌になっていたリルを近くのアーケード商店街に車で連れ出す。食事がてら、買い物がてらにその中を行ったり来たり。
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 雨降ってないよ~♪

リルの味方、アーケード商店街だがさすがに走るわけにもいかないので、ひょこひょこと歩いてはおいしそうな匂いのする店の間で立ち止まったり、誰かにナデナデしてもらったりして、なんとかご機嫌をとる。
我が家の逃亡者は、本来キャンプであったこの期間も大学へ行った。オープンキャンバスの手伝いだという。「キャンプが中止になってから決めた」と言っている。
まあ、部活の役回りなのだろう。
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 ケーキあるよ~

この四日間は毎日実家に出かける。
父の具合が優れない。午後は寝ていることが多くなった。いわゆる老人性衰弱で、何をしてもすぐ疲れる。食は細く、食欲もあまりない。
まあ、料理もできなくなった母が毎回同じような総菜しか買ってこないから無理もない。シュウマイだけはいつもごっそりとある。顔を合わせるたびに野菜が食べたいという。
家内が何かを作って持って行っても、母は”一度入れたら二度と出てこない”冷蔵庫にしまい込んでしまう。冷えたレバニラなんて最低だ。
父のためにぬか床を買い、ぬか漬けでも食べさせようとしたが、その小さなホウロウ容器は翌日冷凍室に入っていた。こんなことは日常茶飯事だ。あげ連ねたらキリがない。
宅配の弁当などを頼んでも、味が合わないとか量が多いとかで一月と続かない。ひどい時は三日で契約解除だ。これじゃあ、まともな栄養もとれない。
昨日は暑い中エアコンもつけずに、おでんを食べていた。
さすがに三食作りに行くわけにも行かないので、今年になって一度も顔を見せない弟に電話して、たまには助力しろと訴えた。弱ってきた父だが自力ではかかりつけ医に行くことも難しいので、ケアマネと相談して在宅定期診療を頼むことになった。
隔週で往診してくれるしその報告はケアマネも共有する。いざという時は24時間365日体制で即座に来てくれるという。
かかりつけ医の紹介状がいると言うので、昨日夏休みにはいろうとしていた町医者をつかまえて説明。今日は在宅医療システムの事務所に行って申込書を提出。だいたいこの手の事務作業や手続きは私がやっている。死ぬまで事務仕事とは縁が切れそうにない。

事務所は離れた区役所近くなので、ミニバイクで行く。信号で止まるとヘルメットは暑いねえ。
帰りがけ、伊勢佐木町に寄って昔なじみのあんみつを買う。
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私が生まれ育った街の老舗だが、ここのあんみつは母を喜ばせるに違いないと思った。
私が小学生くらいまでの記憶は母の中にまだ残っている。
昼前で、あんみつを食べたら昼食を食べるかどうかちょっと心配だったが、二人が喜んで食べてくれるのが一番いい気がしたのだ。
案の定、母は目を輝かせて喜んだ。父も黒蜜が美味いと微笑み、少年時代の駄菓子屋で食べた蜜豆の話をした。
でも、私は知っている。
この二人が結婚する前に、伊勢佐木町の甘味処で度々会ってはあんみつを食べていたことを。
少年時代に近所に住んでいた伯父からそっと教えてもらったのだ。
父も母も私の前ではそんな話はしないが、きっと母の残されたわずかな記憶にも、その時同じように少年時代の蜜豆の話をしたであろう父の思い出にも、甘いあんみつの味が蘇ってきたのだろうと思った。
二人ともぺろりと平らげた。
一時の幸せがあるからこそ、人は生きていけるんだ。




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