D旗たなびく

忘却甚だしく、メモ代わりにちょっと書くだけ。 コメントは受け付けていません。

唐突ではありますが、このブログを終了することにしました。
再開の予定はありません。

私自身の絵日記と友人たちへの近況報告で始めた「見てもらいたくないブログ」でしたが、諸般の事情により、本日をもって終わりにします。どうかお察しくださるようお願いします。
ごく少ない我が友人たちやブログ仲間に支えられて約5年、表題を変えながら書き続けましたが、ここが潮時のようです。これからは私がすべきことをするのみです。
いままでのご愛顧に感謝します。また皆さんのご多幸を願うばかりです。

この絵日記、私にとっては前ブログ同様とても大切な日々が綴られておりますので、しばらくの間はこのまま放置します。テキストだけでも写し終えたら閉鎖する予定です。これには相当の時間がかかりますから、時間のない私にはいつ完了するかわかりませんが…

長きにわたり、どうもありがとうございました。
IMG_1681






母の薬は愚息とリルに任せ、昨日は家内と二人で伊豆に出かけた。
インフルエンザ後の残業続きで家内も相当お疲れのようだった。私も先週は二軒分の家事でいい加減疲れた。
予定していたわけではなく、よく晴れて幾分暖かかった昨日の朝急に思い立って車を出す。
IMG_1697
 伊豆多賀

日曜はやはり車が多いねえ。
どうせ日帰りだからと伊東に行って美味い物でも食べようと思ったのだけれど、往きに3時間もかかった。相変わらず伊豆は道路が良くない。
IMG_1698

車中での会話はどうしても実家のことになる。
まあ、車に乗りながら家族会議していたようなもんだ。いよいよフネを降りなくてはならないかな?
伊豆高原でお昼を食べた。
あの辺りではすでに早咲きの河津桜が咲いている。
そうか、父はなんとか今年も桜を見られそうだなと思った。
最近では桜がなにか人生の区切りのような感じになっている。
IMG_1704

話し込むだけ話し込んで、家で待っているリルと愚息にみかんと干物をお土産にしてUターン。
いったい何しに行ったんだ?
14時半には伊豆高原を出たのに、それからが大渋滞。海も陸も週末は出るもんじゃないな。
のろのろと動く車だが、その分暮れなずんでゆく相模湾の海をゆっくり堪能できた。(と考えるしかない)
家に着いたのは19時。結局ほとんど運転していたから、どっと疲れた。

脱獄囚は本日から合宿。江戸川?また寺か?
で、やたらと早くリルにたたき起こされる。もっと寝たいよ~
昨日まんまと留守番させられたリルは、朝から遊べ遊べとうるさい。
毎日の日課になりつつあるケアマネとの電話もいい加減嫌になってきた。あちこちに連絡させられるからだが、まあそれが終わればとにかく自由。
リルのご機嫌を取りながら、オニギリ買ってマリーナへ行く。
IMG_1718

今日は実に暖かい。
南東の微風が入っている。こうなりゃ、もう出るしかないな。とはいえ、昨日の長時間運転で腰が怠いし、眼もしょぼしょぼしてる。
オーパイ任せの機走でいいや。
IMG_1709
 寝ちゃだめだよ。

出航したのはお昼前。
こんな春めいた気持ち良い日なのに、YBMのボートもヨットも船影なし。
やっぱり平日に限るね。
オイル交換したあとの走りだから、すこぶるエンジンの調子もよく、なんだか心浮き立つ。
リルとオニギリ食べるのも久しぶりだあ。
3時間ほど漂って帰港。この間出遭ったヨットはたった1隻。
それでも、フネ洗いの時には腰が痛かった。
谷公のボートも下架してバースに戻っており、知らないうちにアンカーローラーが付いていた。
これでまた出費が嵩んだろうな。
IMG_1731

明日も予定がいっぱい。
束の間の海。まあ、陸も海もバッテリーの充電というところか。いやいや、心の充電だと思う方がいいね。



2月15日発売のアダチ君(の細君)の絵本、予約注文していたが昨日届いた。
A5サイズだから、ちょっと物足りない。図書館の児童書コーナーにいくと乱雑に置かれている類。
絵本の内容は敢えて控えさせてもらおう。元来、私はこの手の絵本が好きではない。
アダチ君の絵はとても好きだが、たくさん注文がついたのか自由でユニークな彼らしさがあまり出ていなかったように思う。
それでも、友人タカハシが言うように、この歳で描けるようなタッチではない。「小学生が図工の時間に描いたような絵」はもちろん意識的で、それが彼の持ち味でもあるが、私としてはお話の内容とは無関係に描かせてやりたいと思ったりする。

IMG_1677

今日はマリーナへ行く。
午後からは実家に行かなくてはならないから、元々ゆっくり帆走できるような時間はないが、リルと二人だけになりたかった。ここのところバタバタして(いつものことだが)リルと向き合う時間が少なかった。愚犬だが、私はいつだってリルと一緒に過ごしていたい。
リルも久しぶりのマリーナで喜んでいたが、今日は赤旗。体感的に強風は寒い。
IMG_1678

せめてトコトコと機走したかったが、それも無理そうなのでメンテになる。
フネにはやることが山ほどある。っていうか、いろいろ気が付いてしまう。
今日はオーニングのショックコードを取り替えたり、フェンダーカバーの補修をすることにした。
IMG_1682
 これ、注射より痛いんだよ。

ワゴンセールで売っていた、端切れのフリースひざ掛けを使って涙型フェンダーのカバーを作る。
もとより私には裁縫の才がない。また防水用の糸を使うからそれ専用の針もいる。この針は先端だけが三角になっていたりするから、ブスッと突き刺す感じになる。仕置き人か。
で、ブスッ、グサッと針を進めながら四角い布で丸いフェンダーを包んでいく。今日はなんとか血を出さずに済んだ。
へん、どんなもんだい。とドヤ顔してもリルは全く無関心だ。
IMG_1679
 だから、何?

なにしろ冷たい北風がビュンビュン吹いているから、コクピットでの作業は1時間もやっていると鼻水が出るな。
キャビンに入ってストーブを点け、紅茶などを沸かして一休み。こんな時間が妙に嬉しい。
IMG_1685
 ビッケ無いよ。

アダチ君の絵本と同時に配達された「特定船舶局免許の再免許申請のお知らせ」ハガキ。
そうか、もうそろそろ免許取得して5年になるのかあ。
無線などほとんど使ったことがないけれど、あの時せっかく講習を受けてチンプンカンプンながらも海上特殊無線技士2級を取ったし、無線機も買ったから再免許申請しておかないとなんだかもったいない気がして、フネに常備してある免許状を取りに来た。これがないと書けない。
実際のところ、スマホがあれば十分だとは思うのだけれど…
IMG_1691

この手の許可申請はやたらと面倒だ。
更新とは言わずに再免許という。回りくどい説明はあっても、再免許申請の書き方見本すら出してくれない。最近では役所のご都合でデジタル申請する方がコストも安い。だが、デジタル申請するにはカードリーダーが必要で、それも電気店に買いに行かねばならない。
この歳になるとまた再免許することはないだろう。
講習時にもらった法規本で、再免許申請について調べた。
IMG_1683
 ネムネムになってきた。

ふと時計を見るととっくに1時を回っている。
慌ててフネから降りてYBM唯一のレストランPier1へ。
が、なんとPier1は昨日1/31を持って閉店していた。聞いてないよ~
これでYBMの飲食店はマックのみとなったわけだ。
マックでは、リルと一緒だと日陰のテラス席しかない。寒風吹きすさぶ中では食べる気もしない。
取り敢えず引き上げることに。

谷公のボートはまだヤードに上がっていた。
ボルト穴は金属ヘッドで埋められていて、すでに硬化してる。海王さんに頼んだ船名も付けられていた。割と大ぶりな文字だった。
IMG_1686

実家に行く途中、スーパーのイートインでチャンポンを食べる。
ついでに、父が欲しがっていた”腰まである”アウターを買って行く。着いたのは3時過ぎだった。
父はアウターを試着するとたいそう喜んだ。これで少しでも歩いてくれるといいんだけどねえ。
在宅医からは隠れ不整脈を指摘され、血栓を溶かす薬を処方されている。動かなくなった分血流も悪い。父はまたたくさん愚痴をこぼした…

おっと、もう夕飯作らにゃ。
取り敢えず海の匂いを嗅いできましたあ。


巡察師ヴァリニャーノというイエズス会神父をご存じだろうか。
戦国時代の宣教活動をその名の通り巡視して管区長やローマに報告し、自らも布教努力と改善に努めたパードレのマスターである。波乱に満ちた生涯はともかく、インドから中国、日本に至るまでの広大な版図を巡りまわって三度来日し、時の権力者である信長や秀吉に謁見しているイタリア人で、天正少年使節の企画立案も行っている。
IMG_1674
 そんなの知らないよ。

いつか来るだろうと思っていた日本語ボランティアの巡察師が、昨日唐突にやってきた。
といっても女性二人だが、始業前に台湾の実習生二人とグループ分けの机移動してる時だった。
「先生、また新しい人来たよ」
えーっ!もう定員オーバーだよ~
まあ、確かに一人は市の中国人通訳だから台湾の彼等には日本人と違うとすぐわかるわけで…私もよく知っているのでホッとした。
もう一人が行政書士の日本語コーディネーターで、元締めの国際なんだら協会の人。この方もよく会合で見る。
要は、協会の指針に沿っているかを確認するためだが、運営状況の把握や学習者の国別統計などをして、それをもって国や市に予算要求する。
20分ほど現状の説明と問題点を示し、あとは研究授業のごとくオブザーバーとなって巡視していた。
その後のミーティングにも参加して、改善点を指摘して帰って行った。
日本語ボランティアの流れとしては、異文化コミュニケーションを主体にした「共生」という姿勢が求められている。昼間の教室は体験学習や異文化理解が中心で、日本語を教えているというより日本の生活や風習を理解させることに重点が置かれる。
防災訓練や消防署見学、清掃事務所によるゴミ出しの説明など、コーディネーターが用意する各国語のリーフレットで理解させる。
それが大事なのは百も承知。私たちだってたまに取り上げる。でも、日本語をきちんと学ばずして日本社会の中で生きていくのは難しい。自分が逆の立場ならわかるだろう。
昼間は専業主婦が多く、小中学生も放課後に参加することを学校が推奨している。
でも、挨拶一つ、ひらがな一つできないのに地域共生もへったくれもあるか。学校だっていつまでたっても天井を見上げているしかない外国人児童生徒に困っているはずだ。
IMG_0809 (2)
 教室のある建物

昼と夜では学習者層が違う。
夜間は皆何かしらの仕事や学業を持った人たちで、そのほとんどが高学歴だ。
彼らは日本をよく理解しているし、自らのキャリアップのために日本語を勉強したいと思ってやってくる。
日本語学校に通いながら勉強がまだ不十分だと思ってやってくる学生や、実社会の中で日本語の必要性を感じて通ってくるホワイトカラー、ワーキングホリデーでアルバイトしながら自らの趣向のために日本語を磨こうとする若者たち、日本語能力試験に挑戦して母国に帰ってからの日系企業入りを目指す大学院生等々。
彼らは日本に定住することはあっても、永住などは考えていない。それでも日本が好きだから自分の意思でやってくる。
先般国会決議された外国人受け入れ法案。現場整備が論議されないなかでの外国人労働者の受け入れは、見切り発車どころではない。そのしわ寄せは各都道府県に丸投げされる。新たな人員を配置して専門窓口を設けても行政は仕分けと金勘定するだけだ。仕分け先のほとんどが財団法人や第3セクターで、結局はボランティアにお鉢が回る。
特1から特2の間に日本語能力試験の合格条件をいれたことで、街のボランティアに余計な負担が回ってくる。うちの現状ではそれに対応できない。
それどころか、夜に消防署や清掃事務所の人なんて来てくれないよなあ。
だいたい、なんで防災訓練は昼間ばかりやるんだ?夜だって地震は来るだろう?

各地に日本語教室ができたのも日本が技能研修制度から技能実習制度に移行し在留期間が3年となった1997年からで、アジア通貨危機の真っただ中。どっと外国人が流れ込んだ。行政が対応しきれなかったのを元締めのような国際なんだら協会が引き受けた。
協会がやったのは街のボランティア教室を開くための人材作りだった。私はその当時の最後のボランティア。ラストボランティアだ。
あの時と同じで、過酷な労働条件で仕事をしている技能実習生に、誰がちゃんとした日本語を教えるというのだ。日本語を勉強しなければ試験問題さえ読めないじゃないか。
彼らには国にいる家族の生活がかかっている。
ここにきて毎週のように参加を希望する学習者がいるという実態を、昼間のオフィス勤務しかしない巡察師殿はいったいどうとらえたのだろうか。
皆が楽しそうに勉強している姿や、学習そこそこに生活お悩み相談になってしまっているグループ、始業30分前に来て予習している姿を見て巡察師殿はどう思ったのだろうか。

カソリック布教に生涯を賭したヴァリニャーノ神父はローマ教会の正当性を押し付ける布教ではなく、その土地土地に応じた価値観を受け入れる適応主義に布教の主体を変えた。宣教師には中国語や日本語を積極的に学ばせて信者を確実にまた爆発的に増やした。
私たちも目の前にいる学習者個々のニーズに合ったサポートを続けていく。
IMG_1675
 よくわかんないよ。

上意下達の巡察師殿にあれこれ説明していたら、やたらと腹減った。
ボランティア後、いつもの中華屋さんへ。
今日は何が何でもチャーハン食ってやる。(卵が入っているので避けていた)
で、いつものように中国人の奥さんに、
「卵大丈夫?」などと心配されながらもガツガツ食べた。サービスに湯円(タンユェン)をくれた。暖かい、ツバメの巣のような白きくらげと白玉を使った甘いスイーツだ。こりゃ珍しい。
勘定を支払って出ようとすると、娘さんに話かけられる。
社会人1年目で、中国語ができる彼女はとある上場企業の上海支店に行かされている。春節休暇で戻ったのだという。
日本企業と合弁の工場で、主だった製品は車のワイヤーハーネス(血管のような車内電気ケーブルのシステムセット)。
工場の幹部は日本人だが、現場主任は中国人。なまじ中国語が話せ、同じ血が流れているだけに、現場で働く工場労働者の不満やクレームを引き受けざるを得ないのだという。
彼女と会うのは3年ぶり。おそらくこれが3回目。
私を親戚のオジサンとでも思っているらしく、仕事の悩みをたっぷり聞かされる。
まあ、こんな時リタイア組は何とでも言えるな。
自分の社会人一年目も、アルバイト120人の苦情と悩みを聞いて問題解決することだった。そんなことを思い出し、アドバイスにはならない”理解”で励ました。
店はとっくに閉めており、ご主人たちも帰り支度が済んでいたが、彼女がなかなか開放してくれない。
たったまま1時間近く話をしていた。
「先生はもういっぱい疲れてるよ」と奥さんが注意してくれなかったら午前様になっていたかもしれない。
でも、なんだか彼女に信頼されているようで嬉しかった。
IMG_1676
 いつまで待たせるのよ~


今日は久しぶりに雨。
少しゆっくりした。1月も終わる。


このページのトップヘ