D旗たなびく

忘却甚だしく、メモ代わりにちょっと書くだけ。 コメントは受け付けていません。

昨日の続き。御用のある方はパスして時間を有効に使っていただきたい。
こうやってメモ書きしてても、あいつののっぺりとした雰囲気は伝わらないだろうけど、それは私がわかっているだけで十分だ。
南ア遠望
 八ヶ岳の風景。


そんな話をしてたらすでに8時。外では冷たい風がゴーゴーと鳴っている。さすがにターホーが質屋で買ってきた電気ストーブだけでは寒い。強い風に吹かれた氷柱が時々ぽきっと折れる音がする。
「むー、なんか遠大な計画のディテイルが見えてきた。よし、俺は今から行くぞ!」
「ええっ、ほんとかよ。吹雪いてるぞ。今から行ったって遭難者かなんかと間違われるだけだぞ」
「そこが狙いだ」
同情を寄せてもらえるとか、印象深く残るとか手前味噌な理由を話していた。
行くといったところで、もうバスもない。あいつのカブでは本当に遭難しかねない。
なんだ、かんだと適当にしゃべっていたけれど、むしろ火に油を注ぐ格好になった。
ここは責任をとって、私の車で出かける。かくなる上は一心同体。

吹雪いてワイパーさえ利かない林道を走りながらも、ターホーは未来に拓けた人生の岐路に終始笑顔で、私のアドバイスは大変良かったなどと持ちあげていたが、私はこの愚かな計画に足を踏み入れてしまった自分をつくづくアホだと感じていた。
9時近くに雪原に埋まるペンション近くで彼をおろした。
携帯電話なんてあるときの話じゃない、一旦別れたら翌日まで安否不明だ。
「おい、道に迷ったやつがこんなところをウロウロするかよ?だいたい、この冬の期間だ。万が一休業してたらどうする?」
「うへ、それは頭になかった」
「じゃあ、向こうから見えないようにライトを消してここで30分待っててやる。誰もいないようだったら30分以内に戻れ」 そう言い渡して吹雪の中を行かせた。吹雪いているので10mくらいで彼の姿が見えなくなると、なんでこんな日にこんなところにいるのかと自問した。で、腹も減った。
「あいつ、チョコバー全部食いやがったし」

30分経っても彼は戻ってこなかった。とりあえず中に入れたらしい。
私は同僚と住むあばら家に戻り、遅番の仕事を終えた同期にせがんで即席ラーメンを分けてもらいながら事の顛末を話した。
「お前ら、バカか!」

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 私たちのあばら家があったところ。

翌日、彼は遅番で昼からの出勤だった。
当時、私はフロント業務をしており、レストランは二階にあった。翌日の稼働数と食事予約を伝えるために午後様子を見に行くと、当のターホーはすこぶる元気がなく、私の顔を見て首を横に振った。
まあ、当然の帰結だろう。
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 当時のターホーと私。

その夜、また彼の下宿に行く。
「一夜にして遠大な計画が崩れた」
「やっぱり不審者扱いされたか?」
「まあ、あんな吹雪いた夜に突然いったからびっくりはしていたけど、とても親切にしてくれた。毛布掛けたり、コーヒーも熱かった」
「人命救助かよ。じゃあ、娘がいなかったか?」
「ちらっと見た」
「だいたい動機が邪まな計画だけに気がとがめたか?」
「いいや。ちゃんと部屋に通されて、しまってあった布団を出してくれて、ストーブを焚いてくれた」
「そうか、上出来じゃないの。じゃあ初めの一歩だな」
「それがさ、部屋に通してくれて、布団敷いてくれて、火を点けてくれたやつは若い男だった」
「なんだ使用人か」
「いや、俺も最初は使用人か、写真には載ってなかった兄弟かなにかかと思ったんだけどな… 
 彼女のだった
「ゲッ!先を越されたか!」
「6月に結婚した新婚だってさ。あの全国ペンションガイド、家に帰って調べたら1年前のやつだった。1年前の発刊っていうことは取材はもっと前だろ?情報が古かった…」
情報のせいか?
私はしょげているターホーを尻目に、その若い夫ももしかしたらペンション目当てだったのかもしれないなと思うのだった。
そのあと、バイクも何もないので、一人でトボトボと晴れ上がった雪道をバス停まで歩いたそうだ。若い主人が駅まで送ると言ってくれたそうだが、とても同乗する気にはなれなかったと告白した。
「むー、だから言ったろ、下手な鉄砲...」
「数打ちゃ当たるか」
馬鹿は死ななきゃ治らない。一日しょげても、前を向く。
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現在のフロント

その後、ターホーは懲りずに新情報を捜しまわって白馬のペンションのオーナーに年頃の娘がいることを突き止めたが、春になって私は八ヶ岳を辞したのでどうなったかは知らない。でも、今のソクラテスの妻がその人ではないことだけは知っている。

おしまい


当時は毎日がエピソードだった。私だけでなく、4人が4人ともたくさんいろんな体験をしていた。
それを話すのが楽しくて、テレビもラジオも必要なかった。
また何か思い出したら書き留めよう。
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 くだらん!

いよいよ日本語教室も始まった。早速に新しいチリ人の学習者が加わり、家に帰ってひと心地着いた午後11時半過ぎに中国人から来週参加のメールが届いて正月気分が完全に吹っ飛んだ。
昨日の夜はやたらと寒くて、ミニバイクで出かけたにしてはちょっと薄着だった。首とヘルメットにできた隙間を冷たい風が吹き抜けていく。サブっ!そんな寒さでターホーと八ヶ岳を思い出した。
ターホーが来てから1週間経った。大笑いしたあの日、つくづく我が友人たちの記憶の良さに畏れ入ったのだった。私の発した言葉をみんなよく覚えているよなあ。
そんなエピソードに掘り返されて記憶の底に眠っていた光景がまざまざと蘇ったので、また忘れないうちに書き留めておこう。
今日は個人的メモなので御用とお急ぎのある方はここまで。
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 フン、そんな暇ないよ。

例えばこんな話、表題を付けよう。
「ターホーのペンション計画」

新人当時、八ヶ岳で家の近いターホーは夜になるとたまに私たちの家に遊びに来ていた。また私が彼の下宿先に行くこともあった。
東京本社から八ヶ岳に出向した同期4人はそれぞれ仲が良かった。 まあ、コンビニや居酒屋があるわけでもなし、都会の喧騒とは真逆に近い、人家もまばらな高原では、お互いの話をする以外楽しみがなかったと言ってもいい。
4人とも別な部署に配属されていたから仕事中に顔を合わすことはあっても、おしゃべりをしている時間などなかった。(部署によっては昼食時間も異なった)それぞれが半年ごとに部署を変えられるので情報交換が必要だったこともある。
冬になると稼働率も下がり、その分帰宅時間も早くなったから私たちの交流も少しずつ増えて行った。
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その日も、雪が降り始めて夜はマイナス10℃くらいになった。
ターホーの下宿は母屋続きで暖かい。私は当たり前のように彼の下宿に行った。
赴任した時から彼の夢は自分のペンションを持つことだった。新入社員のくせに公言して憚らず、それは口癖のように聞かされた。
夏が終わり秋が過ぎ去り雪が降る冬になっても、まったくその夢は揺らがない。 ただ、毎月の給料とペンション建設費の乖離は甚だしく、彼の計算によれば現状の給料額ではペンションオーナーになるのは40年から50年後、当時の相場で中古を購入しても30年は節約生活が強いられる。
「お前さあ、それじゃあ家族どころか結婚もできないよ」
ペンションの多くは家族経営だ。家族の助力なしには無理がある。
「まずは共稼ぎすることを前提に結婚を考えた方がいいんじゃないの?それだって高いハードルだ」
ペンション
 八ヶ岳のペンション

その頃のターホーは(今もだが)まったくと言っていいほど異性に興味がなかった。
当時レストラン部門にいた彼は、その制服の着こなしのだらしなさとか言葉の不明瞭さを毎日のようにフロア主任から指摘され、朝が弱いこともあっていつも眠そうな目をしていた。
簡単に言えば“ダサい”。
金を溜めたいがために守銭奴のごとく1円たりとも無駄にしない。
私を含めて他の3人は夏すぎには中古車を買っていたが、彼は冬になっても会社から借りたカブに乗り、着ぶくれて丸々になった格好で八ヶ岳の吹きすさぶ風の中を20分かけて走ってくるのだった。
「マフラーがたなびいて格好いいだろ?」と彼は言うが、どう見てもダルマが首を絞められているようにしか見えなかった。
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 ターホーが下宿していた家(現在)

その日、彼が重要な計画を思いついたというので、どうせペンションの事だろうとは思っていた。夢を語るのはいいが、何度も聞かされてるといい加減飽きる。 だいたい、私には無縁だ。
どうせあいつの下宿に行ってもお茶一つ出てこないからと、私のとっておきのチョコバーを持っていく。そんなものさえ会社の土産物売り場にしかない。

「俺は天才的にひらめいた」
「ふんふん、で、何をひらめいた」
「今のままではペンションも退職後になっちまうだろ?」
「まあ、ペンション(年金)って元々そういうものだろう。老後のゆとりある生活ってやつだな」
「いや、それじゃあ困る。俺の豊かな人生は老後にあるわけじゃない。この会社に入ったのもここでペンションに必要な様々なノウハウを勉強するためで、40年働くなんて考えてもいない…」って彼の話はやたらと長い。
「だから、その天才的なんだらってなんだよ」
「むー、俺はこの2か月というもの全力で捜しまわった...」
確かに、私が来ることを予定していたらしくペンション関連の書籍や雑誌等がごっそりと置かれていた。
彼はその中の「全国ペンションガイド」(まあ、そんな題だった)のページを開き、
「これこれ。ここだ」と、隣県原村のペンション紹介の写真を指し示し、一人で悦に入っている。
もったいぶってるから全然その意味するところが分からない。
「俺は、決めた。今日ここに行く」
「は?だってもう7時近いぞ。予約してあるのか?」
「行けば、こんな寒い日だから入れてくれるに決まってる」
「おいおい、そりゃ無謀だろう」
この後、長々と趣旨説明される。
今の給料ではとてもじゃないがそれこそペンションなんて手に入らない。家族は必要だがそれも金がかかって、夢のペンションは遠のくばかり。このペンションのオーナー紹介を見て天才的にひらめいた。

「そうだ、ペンションオーナーの娘と結婚して婿入りすればいいんだ!」

まあ、確かにその写真には家族が載っていて、二十歳前後と思われる一人娘が可愛く微笑んでいた。
「な、いい考えだろう。むー、何度考えても俺は天才的だ」
「あのな…」
お前のような野暮でダサい男が一晩泊まったところで、その娘がどこの馬の骨かもわからないお前を好きになってくれるわけがない。だいたい長い冬を人も来ないような原村で過ごしているとは考えにくい。よしんば、その娘に会えたとして恋愛から結婚、婿入りととんとん拍子に行くものか。
などとそのくだらぬ案を理路整然と却下。
「ううん、確かにお前の言うことは説得力がある」ってさあ、お前以外の人間は誰でもそう考えるだろ!
「じゃあ、この計画を推進するためにはどうしたらいいんだ」
やめとけと一喝するも、なんだか本人の夢にケチをつけてるようで気がとがめた。
「そうだなあ、今のお前を改造しなきゃな。どう見たって“貧相”が服着て歩いてるようにしか見えない。それに、この娘だけをターゲットにするのはどうかなあ?下地が下手な鉄砲なんだから数打たないとな…」
とかなんとか、気が付けば思いっきり巻き込まれて、あいつの案を検討していた。
「まあ、10年くらいはかかるだろう。足しげく通い、親し気に話しかけられるだけでも時間がかかる。その間、おくびにも将来ペンションをやりたいなどと口に出してはいかん。それと並行してその娘の父親、つまりオーナーに気に入られるよう暇さえあれば雪かきだの下草刈だのをしなけりゃいけない」
「ふんふん。そうやって気に入られれば、自分の跡継ぎは俺しかいないってことになるな」
「そこが大事なポイントだが、そう簡単にはいかない。万が一、いや億が一、その娘とうまく結婚話が進んだとしてだ、彼女が諏訪に住みたいとか、東京に住みたいって言ったらどうする?」
「えっ?いや、それは困るな。だから、ペンションをしたいって言って…」
「甘いね、誰があんな人里離れて雪に埋もれたところで生活したい?さっきからお前がペロペロ舐めてるチョコバー一つ売ってないんだぞ。そんなところで育ったら普通便利な都会で暮らしたいって思うだろう」
「そんなもんかなあ…」
「そんなもんだ。だから結婚して仮に甲府かなんかに新居を構えても、信玄公のごとく3年喪を秘せ」
「それじゃあ、どんどん遠ざかるじゃないか」
「人間急がば回れだ。そうやっているうちにこのオーナーは還暦になるな。足腰がだんだん思うように動かなくなってくる。そこでお前が仕事を休んででも手伝いに行く」
「なるほど!」
「親の心配をしない子供はいない。白髪交じりの父が、腰が痛いだの、風邪で寝込んだのと体の不調を訴えるようになったとき、ふと横を見ると薪割してるお前がいるな」
「むー、なかなかリアリティが出てきた」
「そこでお前が一言」
「なんて?」
「お父さん、僕にペンションを任せてください」
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 ターホーの下宿よこにある池

なんか書いてて笑い疲れた。今日はここまでにしょう。
続きは明日にでも書こう。
今日は逃亡者がたまたま家にいるから、飯づくりがある。
家でゴロゴロしてないで、リルの散歩に行け!
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 本日の昼食、焼きカレー。


たまに地域包括支援センターに行って、いろいろお話を伺ってきたりする。
ふらっと寄っても相手にしてくれないので、昨年のうちにアポイントメントは取っておいた。
横浜の場合、地域ケアプラザの中に支援センターがある。無縁な人にはどこにあるかもわからない。
何を隠そう私だって5年前まではまったくその存在すら知らなかった。
家からバイクで5分。こんな近くにあったなんてと最初はびっくりしたもんだ。
だいたい、我が地域のケアプラザはやたらと地味で、やたらと交通の便がよくない。
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 この黒い平屋のビル。

最初は看板を見落として、しばらく彷徨っていたくらいだ。
それもそのはずで、一方通行の狭い道を徒歩で逆方向から行くと絶対に分からないようになっている。
スモークガラス張りの横長い建物は坂の途中にあり、入り口を過ぎてしまうとコンクリートの擁壁しか見えない。まるで秘密基地みたいなものだ。
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 担当のケアマネもここにいる。

今日はケアマネではなく、社会福祉士に用事がある。
不勉強な私は成人後見制度の事をあまりよく知らない。もう少し具体的な情報が欲しいので、説明を請うた。
母の認知症が進み、このままでは父に先立たれると不動産の名義変更やら、遺族年金請求やら、NHK受信料の引き落とし口座に至るまで、こまごまとした事務手続きを母がしなくてはならない。
94歳にしてそんな契約更新や変更などをしている父もすごいと思うが、認知症の進んだ母は自分の名前を書くのが精いっぱい。うっかりすっれば新手の詐欺に引っかかりそうだ。
で、私が後見人になるためにはどういう手続きをすればいいのか、どこまでの代理権や取消権が認められるのかを具体的に聞きたかった。
元々は、弁護士や司法書士などを念頭に置いた成人後見制度なので、後見人指定をされると日常生活の介護・介助はできないとある。4親等以内の親族なら後見人候補になりうるというのに、そりゃおかしいだろう。親一人子一人の介護家庭だったらどうすんだよ?

いろいろ話を聞くうちに、家庭裁判所に申立て書を提出するまでにあちこち回っていろんな証書をもらってこなければならないことが分かった。
「行政書士、司法書士に頼めば2,3か月で家裁の決定通知が届くようですが、個人で揃えると半年ぐらいかかるようです。一番の問題は医師の診断書ですね。それで補助なのか補佐なのかが決まるようです」
区役所に行くと行政書士の相談コーナーがあって、そこで弁護士や司法書士、行政書士を紹介してもらえるそうだ。それも予約が必要で、行政書士が書類を揃えて申立書を書くだけで5万円ほどかかるという。それでも、診断書や戸籍謄本などは自分で揃えなければいけない。弁護士だと40万もかかる。
相変わらずのお役所仕事だから、あちこち回って証紙などを買い求め、たっぷり待たされる。そうやって一般庶民には分かりづらく面倒にしないと、代書屋が儲からない仕組みになっているわけだ。
まあ、大体のことは分かった。でも、家庭裁判所ってどこにある?
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それが終わったらケアマネとお話。
ヘルパーの業態や種類を聞く。
最近では毎日30分だけの見回り訪問なんてのがあるらしい。30分以内なら事前に何曜日は風呂洗い、何曜日は洗濯物の取り入れなどなど、事前に時間と内容を決めるらしい。なるほど、だから最近福祉施設の車がたくさん走っているのか。
緊急呼出のボタン一つで30分以内に駆け付けるというヘルパーもある。週に3日の買い物だけとか、調理だけなんてのもあって、パンフレットだけでもたくさんになった。
お話終わったらすでに12時を回っている。外食した後に実家へ。
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 実家からの富士

これから行くと電話を入れて御用聞き。米と味噌と総菜を買って行く。
行けばまず母の薬のチェック、洗濯物のチェック、トイレのチェックとなる。冷蔵庫は家内が土曜日にしたはず。
で、二人に後見制度について説明。父からは是非お願いしたいと言われる。
またヘルパーに関しては、父がどうしても洗濯物をなんとかしてほしいというので、それをケアマネに相談することになった。
母に薬を飲ませ、買って行った黒糖蒸しパンを食べさせながらコーヒーや牛乳をがぶがぶ飲ませ、トイレに行ったついでにその掃除もさせる。
やろうとするから偉い。トイレが汚いのは、汚いと分かってもドアを閉めた瞬間に忘れるからだ。

家に帰ってくると16時。リルの散歩。
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 全然面白くない!

日が落ちてからボール遊びしてなだめる。
仕事から帰ってきた家内にまた後見制度とヘルパーの説明をする。そんな面倒なことは私の持ち分だと言わんばかりに、いかにも任せたという感じ。
今日から息子も学校が始まって、もとの生活が始まったわけだ。





ようやく足並みが揃った我が家族、本日は初詣に行く。
我が家はほとんど地元の氏神様専門で適当にペコペコ頭を下げてくるだけだ。
余計なお願いはしない。とりあえず顔を見せて忘れられないようにする。
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いつだったか、「ことさら大きな拍手をすることで神様の覚えめでたく...」などと言っていた神主がいた。神様といえど、たくさんの人を覚えているのは大変で、とりわけ目立つようにした方がいいのだと言っていた。ほんとかよ?
どうも門前仲町の猟奇殺人を思い返すと、昨今の神主は信用しがたい。現世利益臭を漂わせて外車を乗り回したりしている輩もいる。
本来、神社に神様は常駐していないはず。とかなんとか言いつつ”風習”として詣でているので、我が家には貧乏神くらいしか来てくれない。
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 なんでお金を置いていくかねえ?

神社の場合、畜生をその神域に踏み込ませるのはご法度になっているので、神社にリルは入れない。
私の場合、これが実に不満。
リルは社外に置き捨てられ、鳥居の外でギャンギャン喚くものだから敬虔なる方たちには迷惑この上ない。パパっとお祈り済ませて「うるさいぞ!」などと叱っている。

そもそも神社の初詣は家長が大晦日から元日にかけて地元神社に籠ることから始まっている。陰暦では月の末日は月がほとんど見えない状態。神無月は日暮れが早くなる時節だが、同じように陰暦の月末日は月隠れする。これを「月ごもり」と言い、お隠れになった神を呼び戻すために神社に集まり祈祷した。大晦日のことをオオツゴモリというのはその年最後の月ごもりから来ている。
日没から日の出まで籠って祈ることで、結果的に初詣となる。なので、簡易的になったとはいえ初詣は大晦日と元日に跨ぐのが本来の参拝にかなうやり方。
そりゃ無理だな。

お寺さんはその辺寛大で、正月の間に行けばそれでよし。(昔の寺は簡単に行けるところではなかったらしい)衆生のみならず生類一切の霊を尊ぶからリルも堂々と境内に入っていける。
回る輪廻は糸車。私なんぞ前世が犬だったかもしれない。
正月も五日過ぎれば皆さんの初参りもお済ませになっているだろうからと、今年はお寺にも行ってみた。
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 なんかいっぱい人がいる。

長い参拝者の列はなかったけれど、混んでいることは混んでいた。内陣では護摩祈祷が行われていて護摩木が赤々と揺れている。読経の声がやたらと大きいのは、暑いのを我慢してやけくそになっているような気がするんだが...広島の引退した某野球選手も毎年やってたなあ。
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 いったい何事だ?

境内ではお焚き上げの残り火が揺れているし、とにかく人が多いのでリルもびっくりしていた。
せっかく並んだのだからと家内はおみくじを引き、しっかり大凶を引き当てていた。
そんなもん、家に持って帰るな!
普段まったく占いの類とは無縁な私だが、年に一度ここの星祭表だけは見ることにしている。
まあ、我が家は真言宗ではないけれど、暦と仏の関係もいまいちよくわからん。
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昨年は星回りが良くなくて大凶、病運最悪、これ当たってた。嫌なことは皆星回りのせいにする。
が、今年はどうやら良さそうなめぐり合わせ。こういう年は星のせいにしないで普段の行いのせいにしている。
家内はここでも大凶。祟り神でも憑いたか?
終始びっくりしていたリルにお守りを買ってやる。
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 なにに利くんだ?

昔も今も正月の参道は大賑わい。善男善女には程遠い私たちはお節に飽いて、俗世の誘惑に負けるな。そもそも初詣客が甘酒一つ飲まないでそのまま帰ることってあるのか?
で、ちょうどお昼ごろだったので門前近くのケバブ屋へ。宗旨替えか?
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 初詣関係なし。

買うには買ったが食べるところが無い。食べ歩きなどできない人混みなので門前商店街の中ほどにある橋で食べる。
オマエ、こういう時だけ静かだな。
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 食べこぼさないかずっと監視しているリル。

昼飯にはちょっと寂しいが、元日から結構バクバク食べているので、ちょっと胃もお疲れ気味。
商店街の団子屋や漬物屋、お気に入りのフォーなども今日ばかりはパスして、日用品を買って帰る。
初詣とはいいながら、メインは買い物に食べ歩き。まったく信仰心とか畏怖なんてものの欠片もない。
でも、人は少ない方がいいね。
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 めでたい正月だこと。



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