D旗たなびく

忘却甚だしく、メモ代わりにちょっと書くだけ。 コメントは受け付けていません。

今年も海に出られた。まずそのことに感謝しよう。
自分勝手な憧れを抱ける状況、周囲の理解、そして災害のないことに改めて感謝だ。
毎年の初乗りはそんな感謝を込めて、穏やかな陽光と風の中を走る。
リルも久しぶりの海でテンション高かった。それもそのはずで、今日の初乗りには息子も一緒だ。
小型船舶免許をとってからたいしてフネを動かしていないから、今日はもう一度おさらいをしよう。
乗り物はすべてどのくらい長く乗っているかで操作技術が決まる。
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 リルがお気に入りの場所。

途中でオニギリなどを買い込んでマリーナへ行く。
アウトレットは解体が進んで、ほぼまっ平になっていた。シンボルとして残すのかと思った灯台も跡かたなく消え去っていた。
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だだっ広い整形地は、そこがかつて貯木場だったことを思い起こさせる。
大きな池に内外の丸材がゴロゴロと浮いていた記憶が蘇る。「危険 入るな」と書かれた注意書きを無視し、水に浮かぶ丸太の上をひょいひょいと飛んで遊んでいたら管理の人にこっぴどく叱られたっけ。まったく、ろくでもない子供だった。逃亡者とはいえよほど息子の方が偉い。
まあ、親父に似ないで良かった。

私にとって初乗りはいつも感謝と祈願の儀式である。
ブログ友達のじいちゃんさんから頂いた金比羅旗を掲げる。これは海上安全の宣言でもある。
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この旗を掲げていると、釣り船の船頭も手を振ってくれる。
日本のPW旗(安航を祈るの意)みたいなもんだ。
「お、まだあいつ乗ってるのか」と思われているかもしれない。犬と一緒に金比羅旗掲げて乗っているのは東京湾広しと言えどこのJollyhotくらいなものだろう。

マリーナは本日までが休業。
私たちが到着した時、隣バースの兄弟船が帰り支度をしていた。まずは新年のご挨拶。名前さえ知らないのだけど、すっかり仲良くなっている。
どうも初釣りをしていて場所を変えようとボートを動かしたら、エンジンの回転数が全然上がらなくなったらしい。動いているうちに取り敢えずトボトボと帰ってきたので釣果なし。
動くには動いたからプラグかなあ?でも、プラグは去年3本とも変えたらしい。噴射ノズルかな?
マリーナが休みだから、ボートのエンジントラブルは厄介だ。せっかくの初釣りなのにね。
冬はバッテリーも要注意。海上安全は普段の点検が大事。

昼前に出た時には弱風の東南東。冬に南寄りの風はありがたい。
空気も透き通っているから富士がきれいに見える。
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波もほとんどなく、他にはお気楽乗艇の仲間が2,3杯いるだけ。
元日に初日の出を見ようと朝早く出てきた人たちもいるのだろうが、私は大晦日午前0時に風呂にはいる夜更かし者なので到底そんな芸当はできない。このお気楽仲間たちもきっと初乗艇なのだろう。
風も弱いからみんな早々に引き上げている。
八景島近くには学生ヨットのスピンが見える。彼らは初合宿に違いない。そういえば、学生時代に初乗艇の前には酒を振りかけて安全祈願の黙祷をしったけなあ。
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 キラキラの海。

息子に舵を預けてトリミングを思い出させる。風の強さによってティラーの動きは異なるし、こんな日はティラーを動かしてもフネが即座に反応しない。といって大きく切れば修正が難しい。ブローを呼んで先回りするティラー操作が必要になる。
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正午過ぎ八景島沖あたりで、ばたっと風が落ちた。
ここらでリルが待ちかねたオニギリタイム。それにしても、なんでオマエはお昼だってわかるの?
親子の会話はほとんどなし。父息子なんてそんなもんだろう。私には母娘がなんでずっとおしゃべりしてるかが皆目分からない。
まあ、リルは一人でもうるさい時があるが...

今日は海にご挨拶。
風が振れて東北東になった時点でエンジンかけて機帆走で引き返す。
私が息子に話すのは、風の見方や他船の動きなど。
「遠い場所にある煙突の煙と近くの煙突のものと煙のたなびく方向が違ったら、やがて遠くの煙突の煙方向に風が変わる」なんてことを説明するだけ。
早々に帰航して、着岸練習。
ヨットはボートと違って惰性でかなり動くし舵も利く。私はバックキックを快しとしない方なので、順風以下なら止まりそうなほどゆっくりとバースに入る。遅ければ遅いほどいい。それで迷惑をかけることはないし、自船も傷つくことはない。

ロープワークと舫のバランスをレクチャーし、後はきれいにフネ洗い。
全部終わってからキャビンでスープを飲む。これがうまいんだなあ。
リルが大喜びの初乗りでしたあ。









昨年暮れから横浜に独り住むお母さんのマンションに滞在しているターホーと会うことになっていた。
そのマンションは戸塚の国道一号線に面している。
「駅まで迎えに行くよ」などと簡単に約束したのだが、昨日から箱根駅伝が始まっていることをすっかり忘れていた。
最寄り駅にせよ、そのマンションに行くにせよ交通規制がかかって車で国道1号(東海道)線に出るのは無理だから、地下鉄に乗ってこちらにきてもらうことになった。
11時の約束だったが、10時頃に電話がかかり今地下鉄に乗ったということだった。どう見積もっても15分で着いてしまう。我が家から地下鉄駅まで25分ほどかかる。急ぎ着替えて髭をそり慌てて家を飛び出した。
いやあ、久しぶりに走ったね。リルも一緒ならすごく喜んだろうが、昼飯を食べることになっていたのでリルを連れて行くわけにはいかない。それにしても、この数年走ることなどなかったから心臓バクバク。
あいつのせいで倒れたくはない。
道半ばにして「今着いた」と電話が入った時には「そこで待て」もうまく言えないほどだった。
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 また自分だけ遊びに行ったんだよ。

我が町のお寺は横浜きっての古刹。正月三日にもなるのに初詣客が引きを切らない。
こんな時に限って行く手を阻むものが多いから走るわけにもいかない。(すでに息が上がって走れないけど)人を待たせるのは嫌いだが結局15分も改札で待たせてしまった。
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 暮れのお寺。リルがポツン。

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 今日のお寺。

まあ、ターホーとは4か月ぶり。相変わらず飄々としていて、一向に構わない。
走ったせいでお腹が空いた。商店街を通りながら飲食店を物色するも、この商店街しっかり正月三が日は休業する半ばシャッター商店街。だいたい、11時になってもいないから空いてるはずもない。
で、またお寺に出て珍しいからと境内を見学。
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京急線を通り越してモーニングセットがある喫茶店に入る。
この界隈では有名な喫茶店で昭和レトロの風情がある。ターホーはいたく気に入って、かつて学生だった頃の話を始める。
まあ、微に入り細に入り、どうして我が友人たちは昔のことをこんなによく覚えているのだろう?
私が忘れっぽいのか?

そのあと我が家までご足労ねがい、炬燵で差し向い。我が家の雑煮などをふるまう。
ターホーは全くの下戸で、一切酒を飲まないからジュースで付き合う。
私も彼に質問したいことがいくつかあったので、それから5時間トイレ以外は微動だにせず話し込んだ。こういう時、家内は絶対邪魔しない。リルも場をわきまえる。
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 奥さんからの電話。

質問の一つ一つを細かく話してくれるので、なかなか結論に至らないがそれも昔と変わらない。
最後は昔の八ヶ岳時代のエピソードになる。これには二人で大笑いした。
元々、八ヶ岳で一緒だったのはたった1年間なのに、今こうして会って話しているのも不思議と言えば不思議だが、よくまあ、細かなことまでまるで昨日のように覚えているものだ。
時間があったら、そんなエピソードの一つか二つ、忘れないようにこのブログにでも書き残そう。
18時過ぎにマンションまで送って行ったが、車中もずっとゲラゲラ笑っていた。
これが福笑いってところかな。

そんな中、また熊本で地震。震度6弱と言うから震源地に近いスミノクラ氏が心配になった。
名残惜しかったが、すぐさま家に帰って電話。
ああ、無事でよかった。
その電話で、彼の子息が年末に入籍をしたことを知る。
当の本人も故郷に帰っており、電話を替わってもらって久しぶりに話した。まあ安否確認の電話が祝辞となったわけだ。こいつは、春から縁起がいいや。

マンション前に置き捨てた我が友人は明日、甲府に帰る。







年が明けてしまいましたねえ。
私は例年、風呂に浸かりながら午前0時を迎えることにしている。これはもう私的な儀式に近い。
暖かい風呂に入りながら風呂場の窓を開け、ミナトに泊っている船が一斉に霧笛を鳴らす音や、近くの除夜の鐘、カウントダウンのどよめきに耳を澄ます。
ボーという霧笛の音が我が家に届くころには午前0時を何秒か過ぎているのだけれど、それで新年になったのだという実感を得る。
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が、今年は息子が風呂から上がるのが遅くて3分も経過した後だったので、霧笛は聞くことができなかった。我が清浄なる儀式を破ったならず者には死を。

朝起きて、ポストに入った年賀状を見る前に、メールで届いた横文字のhappy new year等々をチェックする。
学習者たちにはできるだけ賀状を出すようにしているが、まともに漢字を書けない、ハガキなど出したこともない、その方法すらわからない外国人からはほとんどメールで来る。
日本にいればいいのだけれど、この期間国に帰っている人や卒業生もいるので、自国の午前0時に合わせて寄こされると、1時間おきにスマホが鳴るようになる。(鳴らないようにしてもリルが反応して私を起こす)なので、私のスマホは1:30から7:00まではOFF設定にしてある。
退職時には賀状を100枚までにすると決心したが、だんだん自然減で賀状が余るようになった。どうせならと外国人に出したのがまずかった。帰国組からも律義に、また丁寧に賀状を寄こすので、明日からまた数枚、国際郵便を使わなくてはならない。
「目上の人にメールでは失礼にあたる」などと言ったのがまずかった。

朝飯を食べずに家族で実家へ行く。
今年は母がもうお節は作れないから、父がお節セットを買うことにした。私も家内も大賛成。
そもそも、母は3年前くらいから料理ができなくなっているから、お節料理の大半は私と家内の「手伝い」による。
今年は私のアレルギーで、魚介類がダメ。自分が食べられないものをわざわざ作るというのもなあ。と思っていたところだったので、なんとなく救われた。
が、高いお節セットを頼んだにもかかわらず、いわゆる”インスタ映え”の感じ。うまくもなんともない。京都の料亭から届けられたそのお節は元々が薄味。でも、それだけじゃない。四人分のセットなのに海老が3尾、昆布巻きが二切れなど、それぞれに行き渡らない。
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種類ばかり豊富で彩は華やかだけれど、これでは正月早々争奪戦になる。
魚介がダメな私がいてよかったと家内は言うが、じゃあ私は何を食べればいいのよ?
両親はその味に敬遠気味で、一尾しか入っていなかった伊勢海老を最初に取った家内は遠慮気味。
結果的に息子が一人でバクバク食べていただけ。茶でも煎れろ!

去年は一人で作れなかった雑煮を母は私たちが着く前に作っていた。ほう、こりゃいい傾向だと思ったのも束の間、その雑煮はすでに野菜などと一緒に餅が入れられいて、それをぐつぐつ煮たものだからすでにコロイド状態。餅もその形状を残す物体は箸で摘まむとどこまでも伸びる。餅の背比べなど聞いたこともない。で、作り直し。
「火の入れすぎだよ」などと言ったものだから、今度は母が焼餅を作るのに時間がかかる。見ればトースターは最弱で、ほとんど遠赤外線加熱。で、焦げ目もつかないで餅同士がくっついて膨れていた。
これを切断し、ほとんど具がニンジンだけの汁に突っ込む。
一口食べた父、
「お昼はみんなでピザ食べよう」
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てなわけで、正月早々ピザの出前。
ピザが来るまで、私は温水便座のセンサー故障の修理、家内はトイレ掃除、息子は二階のガラス拭き。
ってさあ、これじゃいつもと変わらないよ~

「みんなで食べるピザは美味しいねえ」などと言っている父だが、内心寂しいのだろうな。
弟の家族はバラバラで正月にも顔を見せないし、母のお節もない。
今年の年末は自分一人でもお節料理を作ってやるぞと決意したのだった。まあ、1年ほど先で覚えているかどうか、ちょっと不安はあるが...









昨日は友人タカハシがわざわざ茨城から来てくれた。
アメ横で買ったというグレードAのカナダ産メープルシロップがお土産だ。魚介がまだ食べられない私は、あれ以来朝はパン食で、ジャムやハチミツなど日々味を変えているので、メープルシロップはありがたい。
13時過ぎに来るというので、午前中は息子と車のワックスがけやウィンド磨きに精を出す。
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前回の車洗いは車内の徹底的清掃と除菌が中心だったので、今回はボディを完璧にする。っていうか、他にすることがない。強いてあげれば戸外収納庫ぐらいだが、それほど汚れているわけでもない。
リルはまた、デッキから我々の行動をつぶさに監督するだけで、ワックスがけ遊びを恨めしそうに見ていた。
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13時を回った頃、タカハシから最寄り駅から向かっているとの電話が入って、リルとお出迎えに行く。
タカハシは12時過ぎにはもう着いていて、時間調整で商店街を歩き回っていたそうだ。昼食に気を遣ったのだろう。
地元商店街は今年の神奈川県のナンバー1商店街に選ばれた。(そんな賞があるなんてことは知らなかった)まあ、商店街好きのタカハシにはいい時間つぶしになったことだろう。
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 よォ!

我が家の炬燵で差し向え、最初のうちはコーラや茶菓子で近況を話し合っていた。
タカハシは最近、ちょっとしたことで警察のご厄介になった話をしてくれた。プライベートな問題だけに口を挟めないが、いい加減平安な日常を送ってほしいと切に願う。
炬燵のある和室には、熊本のスミノクラ氏のお母さんがかいた色紙が額装で飾ってある。お母さんが亡くなった後、形見分けのようにいただいたものだ。それが発端で、昨日はずっとスミノクラ氏のお母さんの話をしていた。
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亡きお母さんは油絵でも書でも日展に出すほどで、私の母も彼女からもらった一通の手紙に感銘を受けて五十の手習いとなり、精進して雅号をもらうほどになった。私も古文書をある程度読めるようになったのも亡きお母さんの影響が強い。
また、そのお母さんは私が結婚した時に静物画をお祝いに送ってくれた。それから、やはり形見分けのような感じでひまわりの油彩画を遺族が私にくれたので我が家にはお母さんの絵が2枚ある。
独学ながらタカハシも油彩画をたしなむ。
その2枚の絵を食い入るように見ていた。
炬燵に戻って酒好きのタカハシに合わせてご法度のビールをジョッキ1杯飲んでみる。

タカハシが来るときは、いつも駅近の居酒屋に入る。帰りも長く電車に乗るので、少しでも駅に近い所で呑んだ方が便利だからだ。
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ここでも、ずっとスミノクラ氏のお母さんの話を中心に会話が弾んだ。
蕁麻疹のせいで日本酒が飲めない私は、タカハシが頼んだ獺祭を少し舐めさせてもらい、梅酒のソーダ割で我慢。
それにしても、我が友人たちは昔のことをなんと克明に覚えていることだろう。
とっくに忘れてしまったことを鮮明に思い起こさせてくれる。
私があまり過去を振り返らないからいけないのかもしれない。
そうやって話が進むうちに、タカハシは結構酔ったのでお開きとなる。帰りがけ花屋で門松まで我が家に買ってくれた。
「それじゃあ、またな」
駅で姿が見えなくなるまで見送った。

で、その夜というか今日、アレルギーが出て鼻水が止まらない。
熱はないし食欲もあるが、とにかくランニングノーズ。明け方まで格闘して今日は死んでいた。
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 お医者さん行かないとダメかも。

アダチ君から手紙が届き、ターホーからも電話があった。
ビールはコップ1杯が限度だな。







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