年が明けてしまいましたねえ。
私は例年、風呂に浸かりながら午前0時を迎えることにしている。これはもう私的な儀式に近い。
暖かい風呂に入りながら風呂場の窓を開け、ミナトに泊っている船が一斉に霧笛を鳴らす音や、近くの除夜の鐘、カウントダウンのどよめきに耳を澄ます。
ボーという霧笛の音が我が家に届くころには午前0時を何秒か過ぎているのだけれど、それで新年になったのだという実感を得る。
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が、今年は息子が風呂から上がるのが遅くて3分も経過した後だったので、霧笛は聞くことができなかった。我が清浄なる儀式を破ったならず者には死を。

朝起きて、ポストに入った年賀状を見る前に、メールで届いた横文字のhappy new year等々をチェックする。
学習者たちにはできるだけ賀状を出すようにしているが、まともに漢字を書けない、ハガキなど出したこともない、その方法すらわからない外国人からはほとんどメールで来る。
日本にいればいいのだけれど、この期間国に帰っている人や卒業生もいるので、自国の午前0時に合わせて寄こされると、1時間おきにスマホが鳴るようになる。(鳴らないようにしてもリルが反応して私を起こす)なので、私のスマホは1:30から7:00まではOFF設定にしてある。
退職時には賀状を100枚までにすると決心したが、だんだん自然減で賀状が余るようになった。どうせならと外国人に出したのがまずかった。帰国組からも律義に、また丁寧に賀状を寄こすので、明日からまた数枚、国際郵便を使わなくてはならない。
「目上の人にメールでは失礼にあたる」などと言ったのがまずかった。

朝飯を食べずに家族で実家へ行く。
今年は母がもうお節は作れないから、父がお節セットを買うことにした。私も家内も大賛成。
そもそも、母は3年前くらいから料理ができなくなっているから、お節料理の大半は私と家内の「手伝い」による。
今年は私のアレルギーで、魚介類がダメ。自分が食べられないものをわざわざ作るというのもなあ。と思っていたところだったので、なんとなく救われた。
が、高いお節セットを頼んだにもかかわらず、いわゆる”インスタ映え”の感じ。うまくもなんともない。京都の料亭から届けられたそのお節は元々が薄味。でも、それだけじゃない。四人分のセットなのに海老が3尾、昆布巻きが二切れなど、それぞれに行き渡らない。
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種類ばかり豊富で彩は華やかだけれど、これでは正月早々争奪戦になる。
魚介がダメな私がいてよかったと家内は言うが、じゃあ私は何を食べればいいのよ?
両親はその味に敬遠気味で、一尾しか入っていなかった伊勢海老を最初に取った家内は遠慮気味。
結果的に息子が一人でバクバク食べていただけ。茶でも煎れろ!

去年は一人で作れなかった雑煮を母は私たちが着く前に作っていた。ほう、こりゃいい傾向だと思ったのも束の間、その雑煮はすでに野菜などと一緒に餅が入れられいて、それをぐつぐつ煮たものだからすでにコロイド状態。餅もその形状を残す物体は箸で摘まむとどこまでも伸びる。餅の背比べなど聞いたこともない。で、作り直し。
「火の入れすぎだよ」などと言ったものだから、今度は母が焼餅を作るのに時間がかかる。見ればトースターは最弱で、ほとんど遠赤外線加熱。で、焦げ目もつかないで餅同士がくっついて膨れていた。
これを切断し、ほとんど具がニンジンだけの汁に突っ込む。
一口食べた父、
「お昼はみんなでピザ食べよう」
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てなわけで、正月早々ピザの出前。
ピザが来るまで、私は温水便座のセンサー故障の修理、家内はトイレ掃除、息子は二階のガラス拭き。
ってさあ、これじゃいつもと変わらないよ~

「みんなで食べるピザは美味しいねえ」などと言っている父だが、内心寂しいのだろうな。
弟の家族はバラバラで正月にも顔を見せないし、母のお節もない。
今年の年末は自分一人でもお節料理を作ってやるぞと決意したのだった。まあ、1年ほど先で覚えているかどうか、ちょっと不安はあるが...