八ヶ岳は一度住民票を移した場所である。
結婚するまでは、何かの手続きのために住民票を役所に出してもらうたびに、「山梨県○○町▽△より転入」と書かれてあった。第3の故郷である。
ターホーが退職して甲府に移り住んだというハガキをもらって以来、甲府や八ヶ岳に行きたいと思っていた。夏休みで留置されている愚息にリルの面倒を見てもらうことが可能になったので、2泊3日の一人旅。なんとか8月に出かけられる。
初日はお日柄もよく、鼻歌交じりで解放気分。
が、中央高速が事故で簡易工事の大渋滞。そこで東海道を走って河口湖まわりにルート変更。
先月家族旅行した時は大雨で、ほとんどその雄姿を見られなかった富士山も、きれいに見ることができた。
別に観光地を回るわけじゃなし、どこかでリルを遊ばせることもない。何時にどこへという指定も計画もないから、むしろ旅程を楽しむ。
高速を走ったり、一般道や懐かしい林道をフラフラ走りながらも、昼前には清里に到着。
標高1500mだと下界とは比べ物にならない涼しさ。なんと24℃。高原を渡る風が清々しい。
こうなるとリルを連れてこなかったことが悔やまれるが、今回は友人と会うのが目的。
少なくとも私自身のご褒美だからね。
八ヶ岳は友人タカハシと縦走したことがある。いつだったか忘れたが若い頃だ。
天女山から入り、権現岳、赤岳、横岳とテント背負って登った。
主峰赤岳
赤岳山頂からの眺めは目に焼き付いていている。奥穂高岳のある北ア連峰、御岳や駒ケ岳の中央アルプス、甲斐駒ヶ岳の南ア連峰に富士、奥秩父の連山など360度の大パノラマだった。富士山を除き皆登ったことがある懐かしい山々だ。
権現の鉄はしごや鎖場など足がすくむような難所、赤岳の肩でテント張ったなあなどと見上げていると、若き日の活力が湧き起こるような錯覚に陥る。
甲武信ケ岳
八ヶ岳で働いてからと言うもの、海賊稼業はあきらめ山賊を目指そうかと思ったことさえある。
あのまま八ヶ岳でターホーたちと働いていたら、今頃はどこかの山小屋の親父になっていたかもしれない。
冷房の要らない清里で食事をし、清泉寮でソフトクリームを嘗めながら、語りつくせぬ思い出を掘り返していたら、急に亡き同僚と住んでいた民家の近くに行きたくなった。
あれから40年、その時でさえ廃屋同然の古家だったから、とっくにないだろうと思っていたが、なんとかその形をとどめる程度には存在していたのでびっくりした。
貸主の母屋はきれいに改築され、桑畑はなくなっていたが、恐ろしく寒い冬を二人で過ごした廃屋は朽ちるままになっていた。挨拶の一つもしようかと思ったが、その当時の大家が生きているはずもなく、当時幼稚園に通っていた男の子が主になっているのだろうと思ってやめた。覚えているはずもない。
でも、山河はあの時の風景だ。
300mほど離れた溜池のようなみどり湖には当時のターホーが間借りしていた民家があったが、そちらも同様に改築されていた。
みどり湖。干上がっていた。
在職中、タカハシが監督をしていた少年野球チームが合宿し、練習していたグランドも見に行った。
当時は新設の複合型体育施設だったが、40年経ってもなにも変わってない。というか、全然使われてない。
その日はかつての職場に泊まる。
勿論当時新入社員だった私を覚えているスタッフなどいるわけもなく、シーズン中はバイトだけでも200人近く雇うので、むしろ私はマネージャーのような感覚で彼らの仕事ぶりを見ていた。
翌日は朝から小雨が降り始め、やっぱりリルを連れてこなくてよかったと思ったが、朝方の10℃台の快適さは分けてやりたいと思った。
白樺湖まで足を延ばすと本格的な雨になってきたので、諏訪湖へ出る。
外国航路の船員だった伯父が生前住んでいたところで、私が八ヶ岳で働いているのを知ってわざわざ会いに来てくれたことがあった。
母方の系譜は代々、諏訪神社の神官で、松本の末社を預かっていたので、ことさら諏訪神社に対しては幼い頃より植え付けられた畏敬の念がある。
ここまで来て詣でなければ罰が当たるな。
諏訪神社は古事記によると大国主命の次男が「国譲り」に反対し、相撲で可否を勝負したが負けたために諏訪の地に飛ばされたとある。なんとなく情けない由緒なのである。
出雲大社にも土俵があるが、諏訪大社にも立派なものがある。
下社秋宮
全国に末社を持つ諏訪神社だが、正式には諏訪大社といい、諏訪大社は四つに分かれて点在する。
上社本宮、上社前宮、下社春宮、下社秋宮の四社で、前宮にあっては行政区画上茅野市に属している。
それぞれ時代に翻弄された経緯がうかがえる。
なので諏訪大社に詣でるというのは最低この四社に行くことを意味するが、それほど暇はない。
秋宮と本宮で勘弁してもらう。
上社本宮。
諏訪神社と言えば、7年ごとに行われる御柱祭り。怪我人続出の上死人さえ出たりする。
この祭り、地元出身の者しか参加できない。松本で生まれて戦後焼け出されて引っ越してきた伯父には、諏訪神社の神官の子でありながら、その御柱祭りの参加資格がなかった。従弟にあたる伯父の子は歴とした諏訪人なので、御柱に参加できる資格を持っていたが、あんな恐ろしい祭りに参加したくないと信州大学へ逃れ、茅野市の某電子機器メーカーに就職し、そののち京都に移り住んだ。
で、最近は少子化もあって参加資格を見直そうという機運があるらしい。
雨が降ったりやんだりする中、甲府に至りホテルにチェックイン後ターホーと会う。
彼の住まいから1ブロック離れたホテルで待っていたが、そのホテルさえまだ知らないオッサンはフラフラと通りの向こう側を行きすぎようとしていた。どうも私の友人たちは方向音痴が多い。
おーい、ターホー!
その日、彼の住むマンションの周囲半径100mほどの場所でコーヒー店、居酒屋、ラーメン屋と回り8時間以上も語らった。
医師の指示に従い、私はその間にビールをジョッキ半分、下戸のターホーは一滴のアルコールも飲まず、話通しだったが、昔話をしたのは5分ほどだ。
7月に退職したターホーはこれからの第二の人生をどう生きていくかを。私はとても多忙な日々の話をしていた。
ターホーのマンション。
居酒屋を出てホテルに帰り、フロント前で「また来るよ」などと言っていたら、彼は急に腹が減ったなどと言いだし、仕方なく近くのラーメン屋に入る。ラーメン一杯で2時間近く店の一角を占拠し、酔っぱらいの大声に負けじと声を大にして会話。終わりごろ彼の奥さんから携帯電話の呼び出し。
とっくに午前0時を回っていたから、心配したんだろう。店がうるさいからその電話で話す彼の声まで大きい。みんな聞こえる。
ああ、我が友人には恐妻家が多いんだよな。ラーメン食べたいと言ったのはターホーなんだけどなあ。私はいつも奥方連中に評判が悪い。
翌朝は飯も食わずにホテルを出て、途中勝沼のブドウ園による。40年前からこちらに来ると必ず寄るブドウ園だ。威勢の良かったおばちゃんも今では90のお婆さんだが、それでもブドウ園で働いている。
「役に立ちゃしないんだけんど、動けるうちは働かせてもろうてるんでねー」
私のような浮草者には耳が痛い。
お土産のブドウを買って、リルが待つ家路を急ぐ。
途中実家に寄ってブドウなどのお土産を渡したが、昼前には家に帰って、ゴロゴロしてる巌窟王にブドウを食わせてやった。
リル!寂しかったなあ。お前も食べな。
おかえり~ で、すぐ散歩!
相変わらず、食う寝る遊ぶのリルでしたあ。ブドウ園で働け!
結婚するまでは、何かの手続きのために住民票を役所に出してもらうたびに、「山梨県○○町▽△より転入」と書かれてあった。第3の故郷である。
ターホーが退職して甲府に移り住んだというハガキをもらって以来、甲府や八ヶ岳に行きたいと思っていた。夏休みで留置されている愚息にリルの面倒を見てもらうことが可能になったので、2泊3日の一人旅。なんとか8月に出かけられる。
初日はお日柄もよく、鼻歌交じりで解放気分。
が、中央高速が事故で簡易工事の大渋滞。そこで東海道を走って河口湖まわりにルート変更。
先月家族旅行した時は大雨で、ほとんどその雄姿を見られなかった富士山も、きれいに見ることができた。
別に観光地を回るわけじゃなし、どこかでリルを遊ばせることもない。何時にどこへという指定も計画もないから、むしろ旅程を楽しむ。
高速を走ったり、一般道や懐かしい林道をフラフラ走りながらも、昼前には清里に到着。
標高1500mだと下界とは比べ物にならない涼しさ。なんと24℃。高原を渡る風が清々しい。
こうなるとリルを連れてこなかったことが悔やまれるが、今回は友人と会うのが目的。
少なくとも私自身のご褒美だからね。
八ヶ岳は友人タカハシと縦走したことがある。いつだったか忘れたが若い頃だ。
天女山から入り、権現岳、赤岳、横岳とテント背負って登った。
主峰赤岳
赤岳山頂からの眺めは目に焼き付いていている。奥穂高岳のある北ア連峰、御岳や駒ケ岳の中央アルプス、甲斐駒ヶ岳の南ア連峰に富士、奥秩父の連山など360度の大パノラマだった。富士山を除き皆登ったことがある懐かしい山々だ。
権現の鉄はしごや鎖場など足がすくむような難所、赤岳の肩でテント張ったなあなどと見上げていると、若き日の活力が湧き起こるような錯覚に陥る。
甲武信ケ岳
八ヶ岳で働いてからと言うもの、海賊稼業はあきらめ山賊を目指そうかと思ったことさえある。
あのまま八ヶ岳でターホーたちと働いていたら、今頃はどこかの山小屋の親父になっていたかもしれない。
冷房の要らない清里で食事をし、清泉寮でソフトクリームを嘗めながら、語りつくせぬ思い出を掘り返していたら、急に亡き同僚と住んでいた民家の近くに行きたくなった。
あれから40年、その時でさえ廃屋同然の古家だったから、とっくにないだろうと思っていたが、なんとかその形をとどめる程度には存在していたのでびっくりした。
貸主の母屋はきれいに改築され、桑畑はなくなっていたが、恐ろしく寒い冬を二人で過ごした廃屋は朽ちるままになっていた。挨拶の一つもしようかと思ったが、その当時の大家が生きているはずもなく、当時幼稚園に通っていた男の子が主になっているのだろうと思ってやめた。覚えているはずもない。
でも、山河はあの時の風景だ。
300mほど離れた溜池のようなみどり湖には当時のターホーが間借りしていた民家があったが、そちらも同様に改築されていた。
みどり湖。干上がっていた。
在職中、タカハシが監督をしていた少年野球チームが合宿し、練習していたグランドも見に行った。
当時は新設の複合型体育施設だったが、40年経ってもなにも変わってない。というか、全然使われてない。
その日はかつての職場に泊まる。
勿論当時新入社員だった私を覚えているスタッフなどいるわけもなく、シーズン中はバイトだけでも200人近く雇うので、むしろ私はマネージャーのような感覚で彼らの仕事ぶりを見ていた。
翌日は朝から小雨が降り始め、やっぱりリルを連れてこなくてよかったと思ったが、朝方の10℃台の快適さは分けてやりたいと思った。
白樺湖まで足を延ばすと本格的な雨になってきたので、諏訪湖へ出る。
外国航路の船員だった伯父が生前住んでいたところで、私が八ヶ岳で働いているのを知ってわざわざ会いに来てくれたことがあった。
母方の系譜は代々、諏訪神社の神官で、松本の末社を預かっていたので、ことさら諏訪神社に対しては幼い頃より植え付けられた畏敬の念がある。
ここまで来て詣でなければ罰が当たるな。
諏訪神社は古事記によると大国主命の次男が「国譲り」に反対し、相撲で可否を勝負したが負けたために諏訪の地に飛ばされたとある。なんとなく情けない由緒なのである。
出雲大社にも土俵があるが、諏訪大社にも立派なものがある。
下社秋宮
全国に末社を持つ諏訪神社だが、正式には諏訪大社といい、諏訪大社は四つに分かれて点在する。
上社本宮、上社前宮、下社春宮、下社秋宮の四社で、前宮にあっては行政区画上茅野市に属している。
それぞれ時代に翻弄された経緯がうかがえる。
なので諏訪大社に詣でるというのは最低この四社に行くことを意味するが、それほど暇はない。
秋宮と本宮で勘弁してもらう。
上社本宮。
諏訪神社と言えば、7年ごとに行われる御柱祭り。怪我人続出の上死人さえ出たりする。
この祭り、地元出身の者しか参加できない。松本で生まれて戦後焼け出されて引っ越してきた伯父には、諏訪神社の神官の子でありながら、その御柱祭りの参加資格がなかった。従弟にあたる伯父の子は歴とした諏訪人なので、御柱に参加できる資格を持っていたが、あんな恐ろしい祭りに参加したくないと信州大学へ逃れ、茅野市の某電子機器メーカーに就職し、そののち京都に移り住んだ。
で、最近は少子化もあって参加資格を見直そうという機運があるらしい。
雨が降ったりやんだりする中、甲府に至りホテルにチェックイン後ターホーと会う。
彼の住まいから1ブロック離れたホテルで待っていたが、そのホテルさえまだ知らないオッサンはフラフラと通りの向こう側を行きすぎようとしていた。どうも私の友人たちは方向音痴が多い。
おーい、ターホー!
その日、彼の住むマンションの周囲半径100mほどの場所でコーヒー店、居酒屋、ラーメン屋と回り8時間以上も語らった。
医師の指示に従い、私はその間にビールをジョッキ半分、下戸のターホーは一滴のアルコールも飲まず、話通しだったが、昔話をしたのは5分ほどだ。
7月に退職したターホーはこれからの第二の人生をどう生きていくかを。私はとても多忙な日々の話をしていた。
ターホーのマンション。
居酒屋を出てホテルに帰り、フロント前で「また来るよ」などと言っていたら、彼は急に腹が減ったなどと言いだし、仕方なく近くのラーメン屋に入る。ラーメン一杯で2時間近く店の一角を占拠し、酔っぱらいの大声に負けじと声を大にして会話。終わりごろ彼の奥さんから携帯電話の呼び出し。
とっくに午前0時を回っていたから、心配したんだろう。店がうるさいからその電話で話す彼の声まで大きい。みんな聞こえる。
ああ、我が友人には恐妻家が多いんだよな。ラーメン食べたいと言ったのはターホーなんだけどなあ。私はいつも奥方連中に評判が悪い。
翌朝は飯も食わずにホテルを出て、途中勝沼のブドウ園による。40年前からこちらに来ると必ず寄るブドウ園だ。威勢の良かったおばちゃんも今では90のお婆さんだが、それでもブドウ園で働いている。
「役に立ちゃしないんだけんど、動けるうちは働かせてもろうてるんでねー」
私のような浮草者には耳が痛い。
お土産のブドウを買って、リルが待つ家路を急ぐ。
途中実家に寄ってブドウなどのお土産を渡したが、昼前には家に帰って、ゴロゴロしてる巌窟王にブドウを食わせてやった。
リル!寂しかったなあ。お前も食べな。
おかえり~ で、すぐ散歩!
相変わらず、食う寝る遊ぶのリルでしたあ。ブドウ園で働け!