D旗たなびく

忘却甚だしく、メモ代わりにちょっと書くだけ。 コメントは受け付けていません。

2018年08月

朝晩は多少しのぎやすくなったが、日中は未だに炎熱地獄。とてもじゃないがエアコンなしには過ごせない。いったいいつまで続くのか。
リルのために涼しい所へ行きたいが、お盆時期だからどこもいっぱい。だいたい、喫煙者は泊まれない施設が多いから、そもそもその手の宿が少ない。パイプなどふかしたら断頭台行きのご時世だけに別荘でも買うしか手がないか。
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 電信柱の影で一休み。

今日の郵便でメタボ健診とがん検診の案内が届いた。
毎年仕方なく受けてはいるが、あれもだめこれもだめと言われるから、いい加減ほっといてくれと思ったりする。どうせならペインクリニックの割引券をくれた方がよほど役に立つ。
やたら長生きしても、認知症で周囲に迷惑かけたり、屈辱的な扱いをされるんじゃなあ。
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 風のある夕方はちょっと涼しい。

父の在宅診療の初回は8/22に決まった。私も初回は金銭面の手続等があるから立ち会うことにし、ケアマネも同席することになった。
往診の結果、処置が必要となったらどうするか?
老体に苦痛を伴う検査や手術はさせたくないし、本人も投薬以外のことは拒否する考えのようだ。
体に管を通したり、電極を貼り付けたりするのも拒むだろう。
父の尊厳と、覚悟を私は守りたい。どんなに辛く悲しい結果が待っていようと、目をそらさずに見つめたいと思う。
人は必ず死ぬ。医療技術がどんなに発達しようが死からは逃れられない。覚悟を定めた老人に延命治療は必要ない。
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 楽しいひと時をできるだけ多く。

あんみつに引き続き、父の好物である豆腐を買っていく。
父は豆腐に何も足さない。醤油も薬味も一切かけない。豆腐の微妙な甘さや硬さをその老いた舌で見分ける。
「豆腐は絹ごしだの木綿だのと種類はあるけれど、私にはいい豆腐と悪い豆腐しかないよ」
スーパーで売ってる豆腐にいいものはないらしい。料理に使うならそれでもいいが、豆腐そのものを食べたい時には遠く及ばないという。
幸いにして、我が町はどういうわけか豆腐屋が多い。50m以内に3軒もあったりする。
我が家の近くにも老夫婦が営む小さな店がある。朝の8時には油揚げの売れ残りがわずかしかないような店だ。
夜更かしの私には豆腐一丁のために丘を上り下りするまでの執着心はないが、父に美味い冷奴を食べてもらうために、今日は決死の覚悟で朝7時にその店に出向いたのだった。

―本日より二日間、お盆休みをとらせていただきますー

って、こんなことなら脱獄囚に来させればよかった。
しょうがないのでさらに下って門前の商店街の一番端へ行き、父が美味いという豆腐屋で寄せ豆腐を買う。
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往きは良い良い帰りは…ずっと上り坂で汗だく。
たかが豆腐一丁で朝からバタバタ。こんなことならリルも連れくればよかった。
で、家に帰って飯も食わず、ミニバイクで実家へ持っていくとすでに9時近く。当然実家では朝食終了。
「えー、わざわざお豆腐買ってきてくれたの」
「なんだ、寄せ豆腐か。今朝も豆腐の販売車が来て、買って食べたよ」

ってさー、そういう車が来るの聞いてないし、それ言っちゃダメでしょ。
徒労の日々は暑さとともに続くのである。
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 アホか。



台風は微妙にそれて、たいした影響もなく過ぎ去ったが、もし桧原湖に行ってたらほとんど雨だっただろう。なんとなく諦めもつくがアダチ君と会えなかったのは残念至極。今では一年に一度しかない機会だからだ。
今年を最後に桧原湖キャンプはやめようと思っていたが、こういう形ではなあ。とはいえ、果たして来年の家庭状況がそれを許すかどうか…
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 牧場キャンプ場

雨の日が続くとリルが退屈する。キャンプ道具を並べ立てていた分、リルはがっかりという感じだった。一年に一度なのに「キャンプ」という言葉は覚えている。
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 つまんない。

台風通過前後の雨降りで、いい加減家の中で遊ぶのが嫌になっていたリルを近くのアーケード商店街に車で連れ出す。食事がてら、買い物がてらにその中を行ったり来たり。
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 雨降ってないよ~♪

リルの味方、アーケード商店街だがさすがに走るわけにもいかないので、ひょこひょこと歩いてはおいしそうな匂いのする店の間で立ち止まったり、誰かにナデナデしてもらったりして、なんとかご機嫌をとる。
我が家の逃亡者は、本来キャンプであったこの期間も大学へ行った。オープンキャンバスの手伝いだという。「キャンプが中止になってから決めた」と言っている。
まあ、部活の役回りなのだろう。
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 ケーキあるよ~

この四日間は毎日実家に出かける。
父の具合が優れない。午後は寝ていることが多くなった。いわゆる老人性衰弱で、何をしてもすぐ疲れる。食は細く、食欲もあまりない。
まあ、料理もできなくなった母が毎回同じような総菜しか買ってこないから無理もない。シュウマイだけはいつもごっそりとある。顔を合わせるたびに野菜が食べたいという。
家内が何かを作って持って行っても、母は”一度入れたら二度と出てこない”冷蔵庫にしまい込んでしまう。冷えたレバニラなんて最低だ。
父のためにぬか床を買い、ぬか漬けでも食べさせようとしたが、その小さなホウロウ容器は翌日冷凍室に入っていた。こんなことは日常茶飯事だ。あげ連ねたらキリがない。
宅配の弁当などを頼んでも、味が合わないとか量が多いとかで一月と続かない。ひどい時は三日で契約解除だ。これじゃあ、まともな栄養もとれない。
昨日は暑い中エアコンもつけずに、おでんを食べていた。
さすがに三食作りに行くわけにも行かないので、今年になって一度も顔を見せない弟に電話して、たまには助力しろと訴えた。弱ってきた父だが自力ではかかりつけ医に行くことも難しいので、ケアマネと相談して在宅定期診療を頼むことになった。
隔週で往診してくれるしその報告はケアマネも共有する。いざという時は24時間365日体制で即座に来てくれるという。
かかりつけ医の紹介状がいると言うので、昨日夏休みにはいろうとしていた町医者をつかまえて説明。今日は在宅医療システムの事務所に行って申込書を提出。だいたいこの手の事務作業や手続きは私がやっている。死ぬまで事務仕事とは縁が切れそうにない。

事務所は離れた区役所近くなので、ミニバイクで行く。信号で止まるとヘルメットは暑いねえ。
帰りがけ、伊勢佐木町に寄って昔なじみのあんみつを買う。
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私が生まれ育った街の老舗だが、ここのあんみつは母を喜ばせるに違いないと思った。
私が小学生くらいまでの記憶は母の中にまだ残っている。
昼前で、あんみつを食べたら昼食を食べるかどうかちょっと心配だったが、二人が喜んで食べてくれるのが一番いい気がしたのだ。
案の定、母は目を輝かせて喜んだ。父も黒蜜が美味いと微笑み、少年時代の駄菓子屋で食べた蜜豆の話をした。
でも、私は知っている。
この二人が結婚する前に、伊勢佐木町の甘味処で度々会ってはあんみつを食べていたことを。
少年時代に近所に住んでいた伯父からそっと教えてもらったのだ。
父も母も私の前ではそんな話はしないが、きっと母の残されたわずかな記憶にも、その時同じように少年時代の蜜豆の話をしたであろう父の思い出にも、甘いあんみつの味が蘇ってきたのだろうと思った。
二人ともぺろりと平らげた。
一時の幸せがあるからこそ、人は生きていけるんだ。




本日の最高気温26℃。朝晩は半袖だと寒ささえ感じる。
台風通過前の北寄りの風が入ってきているからだ。時折小雨や霧雨が降る分、体感的には桧原湖に近い。
台風13号は少し進路を変えたが、確実に福島を射程圏内に入れている。勿論、この横浜もただでは済まないようだ。
今日は嵐の前の静けさといったところか。
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 桧原湖のカルガモ

台風で予定が崩れたとは言え、故郷のない私には毎年の帰省に近い存在だから、檜原湖に行かないでいることがぽっかりとした空虚感を生む。
簡単に言うと手持無沙汰なのである。
桧原湖と磐梯山

山の天気だから、四日行ったら必ず一日は雨に出会う。うっかりするとずーっと雨だったりする。(特にアダチ君が来ると)
そんな時の過ごし方は十分心得ているし、雨は嫌いじゃない。
桧原湖ではリルも遊びすぎるから、雨の日は良く寝ている。その寝姿には満足感がにじみ出る。
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しかし、台風じゃなあ。
家族の予定にかかわらず、身軽にリルと出かけられればいいのだけれど、さすがに長距離運転後のキャンプはきつい。年を取ったと思うのはこんな時だ。
リルと二人で行くなら、往き帰りは那須で一泊ずつを加え、檜原湖では呼吸器が使えるペンション泊まりになるかなあと考えていた。
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まあ、いずれにしろ常態になってしまった腰痛を治さねばと、昨日は1年ぶりに整骨院へ行った。
1年ほど前まで通っていたチェーン店の整骨院ではなく、20年ほど前に通った個人院だ。
ほんの一月ほどの通院だったにも拘わらず、先生はちゃんと私の事を覚えていてくれた。
慢性的な症状だから保険適用はできないと、きちんと説明してくれる。
施術と電気治療で約1時間。以前通った整骨院の拷問治療とは異なり、腰痛の原因を探り出しに時間をかけてくれる。
「腰痛の7割は原因不明なんですよ」
そうそう一月ほど前、整形外科でレントゲンを撮ってもらったが骨に異常はないと言われた。
先生の見立てでは腰ではなく右広背筋に一要因があるという。
痛くはないが刺激の強いマッサージとでも言おうか、今までとは違う箇所を丹念に揉み上げていく。
施術が終わって、腰を捻ってみると、全然痛くない。なんで?
「かなり硬直してましたから、それをほどいただけです。可動域は広がったと思いますが、それだけで腰痛がなくなったとは言い切れません」
「次はいつ来ればいいですか」
「いつでもいいですよ。効果がないと思ったら来なくてもいいです」
って、全然商売っ気がない。失礼ながら、この1時間に客は誰も来なかったし、待ってる人もいなかった。
思い返してみると、20年前も一月で治療が終わり、完全に痛みが消えていた。むしろ、整骨院とはそういう所だと思った。
この先生、名医かもしれない。ダラダラ治療を施さない。
台風過ぎたらまた行ってみよう。ちゃんと治してくれるかもしれない。
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今日は雨の合間を縫って、たくさんリルと散歩した。腰に違和感はない。
午前中は日用品の買い物。午後は実家。
先日山形から届いたスイカだが、家内が半分に切って冷蔵庫に入れたはずだった。まだ数日しか経っていないのに母は何故か冷凍庫に入れていた。
旅行に行ったことはまるっきり覚えていないので、毎日旅行の支度をしている。「旅行に行く」というのだけ覚えている訳だ。
父がいい加減、その行動に腹を立てているので、今日は”証拠写真”を持って行った。
母は無言でそれを眺めていたが、見終わると涙を流した。
自分の記憶がなくなっていくのが悲しかったのだろう。
これで”旅支度””が終わるといいのだが…



我が家の一大イベントである夏の桧原湖キャンプ。8/8からとキャンプ場にもアダチ君にも連絡したのが先週のこと。
そろそろ準備だと昨日の午前中に重い腰を上げた。
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 40年以上使っているランタン

寝袋、ターフ、テーブルやチェア、炊事道具等々家中のあちこちから引っ張り出してきて、1年ぶりのお目見え。
ランタン磨きから始まって、寝袋の天日干し、水筒の煮沸消毒などやることはたくさんある。今回は最低の3泊だがキャンプ中の献立も決めなければいけない。
脱獄囚は初日の午前中に講習があるとかで、午後から新幹線で来ることになっている。バカモンが!
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 リルの分も用意する

あらかた整理が終わって、午後から電池等の消耗品を買いに行くことになった。
汗だくになって、お昼に冷麺などを食べながら天気予報を見ていると、唐突に台風13号が発生したというニュースに出会う。しかも進路は北北西で8日には関東直撃。
えーっ!

なにしろ嵐を呼ぶ男と雨男が邂逅すれば、どういうことになるかはだいたい想定できる。いつもその覚悟はできているが、今朝の台風進路予想では関東上陸後に北へ向かうという予報円。
キャンプの4日間はすべて雨予報。
だめだこりゃ。
朝食後の家族会議でキャンプを断念。即刻キャンプ場に連絡する。
「あれまあ。んだなー、台風がくっからさー、こっちから連絡すねべってハー 朝くっちゃべってたのよー」
とおばさんも了解。
続けてアダチ君に連絡。彼はこちらの都合で日程変更したにもかかわらず、9日に休みをとってくれたのだが、それも無駄になった。
「まあ、橋が流されて溺死するよりいいよ」
若い頃二人でテント張していて、台風の直撃をくらい、おばさんの勧めもあって山を下りたが、私たちが通り過ぎた2時間後に秋元湖近くの橋が決壊し、何台かの車が落水し流されて死傷者を出したことがあった。
また中止の連絡をしなければいけないというのは心苦しいが、4日以上の日程となるとこの夏はもう無理だ。家内はお盆期間に帰省するするし、息子はそのあと合宿がある。
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 キャンプ行かないの?

尤も、今年は異常気象で桧原湖でも日中は31℃くらいあるし、八ヶ岳の北杜市などは35℃台を連発して横浜より暑い日がある。例年より10℃近く暑い。まったくリルの避暑にはならない。
我が家でエアコンに浸かって、朝晩散歩してる方がまだいいかもしれない。
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 お散歩好き!

桧原湖へのドライブは7時間弱。途中佐野PAや那須高原SAのドッグランで遊ばせるが、佐野は音に聞こえた舘林の近く、とてもじゃないが夏は走り回れるような場所じゃない。リルも私も若くないからね。
みんなと行けなくなったキャンプの代わりに、どこか標高の高い近場のペンションにでもリルと行くかな。二人だけの方が気楽だしね。

昨日はショックのあまり家でゴロゴロする気にもなれなかったので、夕方マリーナへ行く。
土曜とあって、夏休み中の子供連れの家族がゴロゴロいた。
夏の一般的なイメージとしては、青い海に白いヨットというのが定番だから、波打ち際で砂まみれに転がっているよりも親戚や知り合いがヨットやボートのオーナーとなれば、「乗りたい!」って思うんだろうなあ。
冷房設備があるフェリーなどと違って、ほとんどのフネにはそんな電気を食うものはついていない。
走っているときはまだしも、アンカー打って停泊し釣りの一つもしようものなら熱中症になる。
南洋の漁民のようなオーナーには日常でも、学校のエアコンに浸かっている現代の子供には無理と言うもの。
私が行ったころには皆さん帰港してげっそり顔だった。肩の辺りが真っ赤になってるお母さんたちもうんざり顔。ノースリーブはご法度だよ。
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 ビッケ頂戴!

それでも日暮れ頃は海の方が涼しい。
喧噪が去ったマリーナでゆっくり夕涼み。リルも嬉しそうだった。




体温より高い気温が続いている。横浜よりずっと気温が低い台湾の子たちがメールでリルを心配してくれているが、さすがにこう暑いとリルだって面白くない。
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 もうお日様沈んだし。

昨夜も風呂から上がって涼んでいると、脱藩者からメールが入った。
「終電逃したから、横浜から歩いてる」
って、もう1時半近い。外はまだ28℃あるし、歩いて帰れば3時過ぎる。
ええい、災いの元凶とはあいつのことだ!
何を血迷ったか浅間町から保土ヶ谷駅の方に歩いてると言う。我が家からだと丘を二つ越えなくてはならないし、Uターンできる場所がない。また面倒なところを歩いてきたもんだ。
パジャマ姿で車を出す。こんな日に限って道路の夜間工事。
保土ヶ谷駅についても囚人の姿はない。電話すると駅の反対側にいると言う。アホ!
結局家に着いたのは2時半頃。眠そうにリルも起きてきた。だから、主従ともども寝不足。
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家に着いたからって即寝られるわけもなく、運転といら立ちで交感神経が活発化してしまった。
真夜中の逃亡者はそれから風呂に入り、今朝は9時過ぎに出て行った。私の不眠と生活破壊の要因は、あのデストロイヤー以外の何者でもない。
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眠気と怠さと暑さでボーっとしながらも、ゴロゴロ寝ていられるほど暇ではない。
無線使用料の払い込みだの、どうでもいい周年行事の欠席はがきだの、還付金申請書類、ホームページの更新、DPE注文等々事務仕事や実家の御用聞きが待っている。
そろそろ昼だなと思った頃、郵便物が届く。
その中に1枚のはがきあり。ターホーからだった。
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八ヶ岳で一緒に働いていた頃のことが、ふーっと湧いてきた。
そうか、甲府に決めたのかあ。
若い頃はペンション経営するのが夢だとか言ってたけれど、40年間同じような仕事をしてきたのだからもう十分なのだろう。
大好きだった八ヶ岳ではなく、少し遠目から過ぎ去りし人生の原点を眺めるのか。それも悪くない。
私自身、八ヶ岳や南アには特別な想いがある。できることなら、あの高原に終の棲家を持ちたいとまで思う。
尤も、父母の問題やボランティアのことがあるから現実的にはここ横浜に骨を埋めることになるのだが...

昼食をさっさと済まして電話する。
相変わらず気さくな受け答えだ。
「甲府に住むとは思わなかったよ」
「この前伊豆に来てもらった時、オマエの話を聞いて決めたんだ」
甲府に住むという決断をしたのは私のせいだと言う。
まあ、確かに退職後の事をいろいろ話したのだが、それがきっかけになるとは思わなかった。
ペットと住めるタワーマンションの12階が、ターホーの終の棲家となる。
「犬が飼えると言うのが必須条件。八ヶ岳や南アが見えることが第二番目、横浜に出るのに無理がないというのが三番目」
横浜には高齢者住宅に入っている彼のお母さんがいる。昨年お会いした時にはとてもお元気そうだった。
「毎月一度は母の様子を見に横浜へ行くから、また会ってくれよ」
嬉しいね。勿論、私も甲府に行くだろう。
苦楽を共にしたのはたった1年なのに、その春夏秋冬にはたくさんの思い出が詰まっている。
また、なにかを共にできる友が戻ってきた。
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ターホーはまだ引き継ぎのため甲府と伊豆高原を行ったり来たりしてるらしい。
40年、お疲れ様。





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