雨の中を散歩するほど酔狂ではない。
このしっとりした雨の日には家でジャズピアノを聴きながら、ゆっくりと生き方などというものを考えたりするのがよろしい。教授のおかげで柔らかな音がそのスピーカーからしみ出てくる。
まあ、ろくな人生ではないんだが…
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この1週間というもの、夏が戻ってきたようで暑かった。昨日などは久しぶりに30℃に届くかというところ。先週の水曜日は17℃の肌寒さで、慌てて衣替えなどをしたのを天に嘲笑われた。
今日は予想気温としては18℃らしい。それにこの後10日は雨模様で20℃に届かない日が多いという。
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   暑かったよねえ。

潮位表の曲線ような寒暖差でボランティア教室も体調を崩したり、風邪をひいたりで欠席が多かった。まあ、教える側もダウンしてたからバランスはとれたが…
リルもさすがに夏バテ状態で、暇さえあればよく寝ていた。
風も微風続きだったから、とてもセーリングに連れ出せるような感じではなかった。それでも、海の方が気持ちいいから、マリーナに出かけてはいた。
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行けば行ったで、なにかしたくなる。ちょっと機走してみたり、メンテナンスしてみたり、掃除してみたり、やらなければならないことはたくさんある。
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  塩出し

船員どもがのんびり惰眠を貪っている横で、船長だけが汗だくになっていた。

我が友人達からは毎日電話をもらっているが、あまり冴えた話題が出てこない。
歳をとると、”Let's” という語彙が減るな。とくに男はそうなのかねえ。頭の中で完結してしまうんだろうか。家族や生活を守ることだけで精一杯なんだろうか。持病と体力を秤にかけて二の足を踏むのか。
共通項が”病気”や”金欠”っていうのは寂しいねえ。

そんな中、ハラ先生が旅先からまたお菓子を送ってくださった。
旅といっても九州の亡くなった伯父の墓参に行かれた由。
この方の話は何度か聞かされている。帝大出で弁護士資格を持ち、戦前戦中に金州の知事兼警察署長のような仕事に就いていたそうだ。
金州は今でこそ大連市の一自治区だが、かつては日本の関東州、いわゆる関東軍の司令部があったところだ。終戦に当たって、軍関係者がさっさと逃げ出し、残された日本人をなんとか帰還させようと尽力したらしい。終戦直後は、当然暴徒が金州になだれ込み、略奪・暴行の限りを尽くした。ご本人も吊し上げられて惨殺される寸前までいったらしい。その暴徒たちを止めたのは、他ならぬ金州の市民たちだったという。
郷里に戻っても、戦犯の容疑がかけられていたために、累を恐れた親戚たちからは村八分にされたが、助命を願い出たのも金州市の市民だったという。
「中国人に二度命を助けられた」と生涯、その恩を忘れずに語っていたとハラ先生は仰った。
日本に引き揚げて郷里に戻り、満州に売られて”接待”をしていた乞食の娘と結婚したが、子供が産めるような体ではなく、子はいない。満州から命からがら逃げ帰り、路頭に迷う人たちを支援することにその生涯をかけたという。
ハラ先生とは直接的な血のつながりはない。ご主人の身内だ。それでも毎年、墓参のために九州へいく。アメリカに住む長男も、病院で働く三男も、この家族行事には必ず参加する(次男は療養中)。
先生ご夫婦が亡くなってもご子息たちが後を継ぎ、この墓参だけは欠かさないのだと言う。

ハラ先生のお話を聞かされる度に、身の置き所がなくなる。
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