明日が開幕のピョンチャン五輪だが、カーリングやジャンプといった予選は今日から始まっている。
何よりありがたいのが時差の関係。2年前のリオ五輪の時は日本では真夜中の競技観戦となって、すっかり昼夜逆転になってしまった。
スポーツは好きだ。選手がどうの日本がどうのという前に、なにより嘘もヤラセも仮想もない実競技だということ。作り物でも虚構でもない真剣なものであることの意味は今の時代とても意義があるような気がする。
ただねえ、私は寒いのが苦手。雪や氷の中を薄い競技スーツでやっている選手を見ただけで身震いしたりする。選手は動いているからいいけれど、その姿を見ている観客はすごく寒いんだろうなあと余計なことを考えてしまう。なので札幌も長野にも足が向かなかった。
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冬の韓国ソウルに行ったことがある。
夜の冷え込みは尋常ではなく、雪はそれほど降らないものの体の芯から凍えた。緯度的には福島県と変わらないけれどシベリアの冷たい寒気がダイレクトに街を包むから横浜生まれの私にはとてもじゃないが出歩けない。韓国の人たちが激辛のものを食べる理由がよく分かったという感じだった。
韓国はやっぱり秋がいい。

さてピョンチャン五輪だが、日本語をサポートしている私としてはもう”ピョンチャン”という表記で立ち止まってしまう。日本のメディアは”平昌五輪”と表記している方が多いように思う。
これ、とても複雑な問題。
先月まで担当していた韓国人ジャンさんに、日本漢字を教えるのにはずいぶん気を使った。彼女が日本語能力試験1級(N-1)に挑戦したいと言ったので漢字を教えてはいたけれど、それがすべての韓国人には当てはまらないのだということを知っていないといけない。

日韓併合時代に日本語教育を強いられた彼らは、戦後まもなく漢字廃止運動を起こす。あの時代、高等学校にあって漢文教育はほぼ必修。
かつて漢字文化圏だった韓国では、その言葉も日本語の音読み以上に影響を受けている。なのでハングルは音節表記で漢字一文字をハングル一文字で表すことができる。だから、漢字は不要だという論が成り立つ。ただ、三国時代等15世紀以前の歴史的書物はすべて漢字で書かれているわけでこれを全く無視することはできないし、自分の祖先や家系を表す名前も漢字表記だったために国論が二分。結局四半世紀を費やし国策として漢字廃止が宣言された。1970年以降に教育を受けた人たちは漢字を習ってない、はずだった。ところが、元々国論を二分していた漢字教育、その後世界を席巻した日本経済のバブル、その後の中国の目覚ましい経済発展などに圧される形で観光を中心に漢字復活論議が絶え間ない。実際、前パク・クネ大統領がそのまま政権を握っていたら、今年は小学校3年生から漢字教育が復活されるところだった。
ここまでもめると、安易に韓国人に漢字を教えられない。そもそも漢字廃止論は反日運動から起きたわけで、微妙な問題を含んでいる。復活論者も簡体字は認めても和製漢字はいかがなものかという意見だろう。
なので、「平昌五輪」にはちょっと違和感を持ってしまうわけだ。
尤も、最近では漢字復活論が優勢のようで、私立や特定地域では小学生の漢字学習がなされていると聞く。また中国簡体字では当然ながら”平昌”と書くから、中国人向けの案内としては間違ってはいない。
ちなみにソウルはソウルと表記する。ソウルに漢字はない。間違っても京城とか書かないようにしなくてはいけない。それは勝手に日本人がつけた当て字なのだ。
日本語を教えるといっても、それなりに準備が必要なわけね。

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 いつも”うるさい”って言われるけど…

本日は実家。お昼を食べても15分で何を食べたか忘れてしまう母に、食後すぐカレンダーに食べたおかずを書き込むようにと言ってきたけど、それももう忘れてるだろうな。
何を食べたか覚えてないから、いつも同じ食事だったりするわけで、父が「もうサンドイッチは食べたくない」と言っていた。毎週冷蔵庫の整理をしているけれど、いつも同じものが腐りかけている。

家に帰ってリルと散歩。そのあとリルの床屋。
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 ちゃんと静かにしてるよ。

切った細かな毛が鼻を刺激してクシャミ三昧。
もうクシャミは飽きたよ~