三寒四温とはよく言ったものだ。
毎朝、何を着たらいいか迷う。隠居の身なれば、何を着ようとどうってことはないのだけれど、みすぼらしいのは好きじゃない。
暖かかったり、寒かったり、曇ったり、晴れたりと季節の変わり目は毎日表情を変えるが、一定しているのは風が強いこと。ここのところ強風注意報が出っぱなしで、その分マリーナからも遠のいている。
こういう風の強い日に桜は開花する。強い南風に触発されるんだろうか。
我が家の近くの公園でも昨日開花した。

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 我が家の標本木としている桜木。

台湾の留学生に、試験に合格したらそれを遠く離れた家族・知人にしらせるとき「サクラサク」と打電したんだよと教えたことがある。
彼女はそれをたいそう気に入って、桜を新たなステージの象徴と捉えたらしく、桜が咲くとまた一年頑張ろうという気になるんだと言っていた。
「試験に落ちたら、なんていうんですか?」
「サクラチル」
「なるほど!」
まあ、千々に舞い散る桜には「もののあわれ」と盛者必衰の死生観が底辺に流れているのだけれど、私が思うに彼女がイメージしたのは椿のようなポロリと落ちる首切りイメージだな。
そういうのはもっと日本語と日本文化に精通しないと説明もできない。
せいぜい、卒業と新入の出会いと別れ程度の説明にとどまる。
尤も、愚息などを見ているとたいして差がないような気がするが…

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そんな愚息も今は春休み、今日は何するか、いつ帰るか分からない。ほとんど平日は学校に行っているが、たまにずっと寝ていたりする。
今日も出て行ったかと思っていると昼頃むっくり起きだして、今日は家にいるとか言い出すので、昼食を作ったり、外食したりする。迷惑この上ない。
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 桜咲いたよ~

桜とともにやたらとかまびすしくなるのは野鳥の鳴声。鶯も本格的に鳴きだしている。カラスを含め恋の季節だから、朝はそんな小鳥の声で目が覚める。(その前にギャンギャン鳴くやつがいるけど)

春の寿ぎ。桜の舞い。その華やかさに人生の春を感じる人が多いかもしれない。新たなスタート、アップステージと意気込む若者は多いだろう。
その鮮やかな桜花には表裏一体の別れもある。

友人タカハシは18歳になる愛犬を亡くした。一月も前の話だが、ばったりと連絡も途絶えた。
昨年末には愛猫にも逝かれてしまって、悲しみのどん底にある。
奥さんは毎夜泣いているそうだ。
仕事をしている方が紛れると、週末も家の補修や土いじりをしてるようだ。
犬や猫は、家に迎え入れた時からその日が来ることを必ず覚悟しなくてはいけない。可愛いからというだけではなく、その死をみとる意識も必要だ。
わずかな時間を共に分かち合いながら、感謝と愛おしさを胸に抱き、時として肉親よりも強い絆を結ぶ。
その別れは悲痛だ。どうしようもないほど空虚だ。時が経てば経つほど這い出したくなるような悲しみが心に住み着いてしまう。
そして、思い返せば思い返すほど「ありがとう」という言葉しか出てこなくなる。
ただ冥福を祈るのみ。
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リルを我が家に迎え入れたのは、先代コニーへの深い感謝からに他ならない。私がいつもリルと一緒にいるのはコニーに対する悔恨があるからだ。ともにわずかな時間を精一杯生きる。

咲いた桜は必ず散る。
私は桜を見るたびにコニーを想う。