私にはまったく関係のないことだが、春の褒章で小学校時代の同級生が藍綬を受けることになった。
藍綬褒章とは「公衆の利益を興し成績著明なる者
又は公同の事務に勤勉し労効顕著なる者」に与えられる。
政治家の家系で彼の父親も大臣を務め、弟もまた国会議員で長官。
彼とは高校も一緒だが、アダチ君を始め皆が皆、ふ~んという感じだろう。若い頃と違って立派になったんだろう。
新聞の写真を見て、小学校時代の彼を思い浮かべていた。
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 浜ランチ

本日は母の通院日。家内に車で行ってもらう。私は実家で父の世話。
ここのところ毎日ケアマネやデイサービス施設と連絡を取り合っている。
来月から父は週に1度デイサービスを利用することになったが、父が出かけている間母を見ていなくてならない事になりそうだ。
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 公園のお掃除。

父がデイサービスで家を空けるという事が母をまた精神的な不安定に追い込んでいる。そんな母を見て父はデイサービスへ行くのを躊躇う。
元々私が強く勧めたこともあって、渋々承知したというのが実情だけに、母の成り行きでは辞めかねない。
運動と温浴とマッサージ施術のデイサービスだから、凝り固まった体にはいいし、そこに来る人たちと会話を楽しめればいいと思ったわけで、後顧の憂いなく通ってもらうためには私が実家で母をみるしかない。
そんな父が今日私に漏らした言葉、
「デイサービスに行ったところで、社会に貢献できなければ生きてる意味がない」
なんらかの形で人の役に立たなければ生きている価値が見いだせないのだと言う。
父が少しでも元気になって、また家族で旅行したり、父が懐かしいと思うようなものを食べに行けたらと思っていた私が愚かだった。
父は人のために生きることが喜びなのだ。自分が社会の役に立っていることこそが楽しい人生なのだ。
藍綬褒章などとは無関係なところに父はいる。だが、私にはその生き方を誇りに思う。
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自分の命をどう使うのか。どう役に立てるのか。父はそんなことを考えているに違いない。
愚かな息子の世話にはなりたくないだろうな。
ああしろ、こうしろなどと言われたことなど今まで一度もなかったし、老いては子に従えではないけれど、私がなにか提案しても嫌だと言ったことなどない。父はそういう人だ。

到底私にはその真似すらできないな。死ぬ間際までギャアギャア言ってるに違いない。
ここまで生きてくるとそうそう性格や生き方は変えられない。
最期に皆が安堵するような死に方しかできないんじゃなかろうか。
社会にどう貢献するかより、どう迷惑をかけないで済むかが目下の課題。
あまり長く生きてはいけないと思うのだった。