船底塗装後一度も乗っていない。天気に恵まれても風に恵まれない。
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その分、今週は友人たちとの接触が多かった。
中でも、元部下のKが真っ先にご報告をと1年ぶりに電話をくれたのが嬉しかった。
私が辞職した年に非常勤として雇い入れたKは、その後エンドウたちにこき使われながら2年ほどその仕事を続けたが、左手麻痺、車いすの彼を暖かくサポートしてくれたかというと首を横に振らざるを得ない。
障碍者の疎外感はとても敏感だ。できることを一生懸命やっても結果がついてこないと”邪魔者”扱いされる。施設のように経過の努力を評価してくれないので、投げやりにもなる。
私が招き入れたようなKだから、いつも彼の処遇が気になっていた。
エンドウが異動し、私の右腕だったMさんが異動して、彼が何のためにその職場にいるか後続の者たちが理解しないまま、冷ややかな視線を浴びせられ、彼も職を辞した。
その後、とあるNPO法人で事務仕事をしていたが、契約社員扱いで常駐スタッフとしての将来の目途が立たないまま、誰にでもできるようなホームページ更新の仕事にやりがいを見出せず、よく私に電話をかけた来たのが去年の今頃。
役所や一定規模の企業には、障碍者雇用枠と言うのがある。これは義務付けられているので、最低賃金で清掃などの単純労働をさせられている障碍者が多い。それもまた必要なことだが、障碍者は必ずしも知的障害ではない。Kのように大学出の肢体不自由者もいる。だが、現状はほとんどの企業が、”雇用枠があるから仕方なく”という観がある。なので、あてがう仕事も毎年同じ。Kのような肢体不自由者はむしろ清掃のような仕事は難しい。こんな企業がパラリンピックの協賛をし、企業イメージを上げるようなCMを流す。
雇用枠に甘えるな、自分で道を切り開けなどと言っては見るものの、障碍者という壁はとても高い。
NPO法人を3月で辞めた彼は、ハローワークに通い、リクルート会社の登録をして就活に励んだ。
以前のように、福祉協議会や福祉施設の斡旋には頼らなかった。
そのKから一昨日、連絡があった。
横浜の北部にある脳神経外科病院で一般職採用されたとのこと。
これは嬉しかった。本人もすごく喜んでいた。脳神経科の病院なら、彼の脳性小児麻痺の症状も理解してもらえる。一石二鳥じゃないの!
その弾む声に私もなんだかホッとして、「お母さんも喜んだろう?」と訊くと、「いえ、まだ連絡してません」と言うので、一喝!
君の後に続く者のためにも精一杯働いてくれよ。
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昨日はKの朗報でちょっと浮かれ気分。
山下公園に行き、少しだけ祝杯を上げる。
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平日にイベントをやっていることは少ないが、昨日はたまたまベルギービールのお祭り。
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さすがに、平日の午前中だけあって、人はまばらだったけど、こちらとしてはその方がよろしい。
バジルソースのフィッシュフリッタなども賞味しながら、豊かなひと時を過ごす。
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 がらーん。

今日はこれから近くの球場に少年野球の試合を見に来ているタカハシとこれから昼食。
いってきまーす。