D旗たなびく

忘却甚だしく、メモ代わりにちょっと書くだけ。 コメントは受け付けていません。

カテゴリ: 家族

墓参りの日。
両親を車に乗せたが、家の鍵がないなどといつものように母のナイナイ節が始まる。なくさないようにとバッグに紐で括り付けてあるのだが、その固く結んだ紐をいったいいつ、どうやって外すのか皆目見当がつかない。
家内が取り敢えず家に入って捜すけれど、こんな時は絶対に出てこない。
先に車に乗り込んだ父が愚痴をこぼす。
「昨日はあったんだよ。まったく、毎日毎日なにかがないって捜させられるからねえ」
と、今日はご立腹のご様子。
「とうとう、洗濯機も壊しちゃったよ。入るだけ押し込んで、中のものが取れなくて、動かなくなった」
だいたい、墓参りの日には何かが壊れることになっている。

霊園は混んでいた。
脚の悪い父に家内が寄り添い、私は散歩気分ではしゃいでいるリルを制御してる。その間に、足腰だけは丈夫な母がスタスタと先に歩いて行ってしまうが、墓の場所など覚えているはずもなく、時々立ち止まってはみんなを待っている。なんで一緒に歩けないかねえ。
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 おい、どこ見てんだよ。

去年までは墓掃除ができた父も、今年はせいぜい花台に水をやるぐらいが精いっぱい。母も雑草取りくらいしかできない。息子がいない分、私が墓石をきれいに拭き上げる。
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 誰の墓だと思ってるんだろう?

コニーの墓にもお参りするが、管理費を払うからと事務所に行く父を一人にしておけず、また母をその辺に置き捨てたらどこへ行くか分からないので、コニーの墓参りには家内とリルだけ行ってもらう。
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 また財布がないらしい。

役に立たないようで、息子はそれなりに必要性があるんだなあと実感。逃亡者め。
普段なら、この後お昼の会食だが、今日は彼岸の中日ということもあって車が渋滞。とてもじゃないがレストランなどに寄る余裕がない。リルをずっと待たせなくてはならないし。
「近くのスーパーで駅弁フェアやってたから、家で駅弁食べよう」
で、家内と母が適当に買ってきた駅弁を我が家で食べる。
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駅弁は当然冷えたものだから、家内が朝の味噌汁を温めたり、漬物などを出したりして、それなりに食卓を飾る。
その作り置きの味噌汁を一口飲んだ父が、
「お母さん、これ飲んでごらんよ。これが味噌汁だよ」
といたく感服してる。私には、ちょっと煮詰まってしょっぱく感じるのだが…
「うちの味噌汁なんて、しょっぱくて飲めないんだよ」と父。
いったいどういう味噌汁なんだ?
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母はその時だけ不機嫌な顔をするが、栗おこわの栗を一つ食べたら、その会話はもう忘れてしまう。
ちょっと気の毒だったので、食べ終わってから母を外のデッキに連れ出し、オレンジジュースや月餅を食べさせる。
このデッキはいつもいい風が吹き抜ける。
暑くも寒くもないパラソルの下で、母はそんな涼風を全身で受け止めて、とても嬉しそうだ。

家内と父が洗濯機のチラシを見ている。飴やガムじゃないんだから、これ頂戴、はいよ。ってな訳にはいかない。在庫があるか、配送に何日かかるか、配送費や設置費、廃棄費用を考えないと家電は買えない。それに、とにかく設置場所の寸法を測らないと、ご希望の洗濯機が入るか入らないか分からないじゃないの。
で、家内がミニバイクをとばして実家へ寸法を測りに行く。ご苦労なこった。
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その後、はしゃぎまわって午睡に入ったリルを留守番させ、またみんなで電気量販店へ向かう。
何しろ老人二人だから大きなものは要らない。問題は、どうせ配送される日には母が忘れているので、「聞いてない」と業者を追い返すことと、まったく操作ができないという点だ。
操作といっても電源を入れてスタートボタンを押すだけだが、機械が新しくなるとそれがもうできない。
だいたい、洗濯したのを忘れてしまうから、洗濯が終わった物も出さずに毎日どんどんと詰め込んで壊れたわけだ。
これで実家へ行った際の点検項目がまた一つ増えることになるな。

両親を実家に送り届け、家に帰るともう夕方。
こうやって、セーリング日和が消えていくわけだ。



敬老の日はいつの間にか週明け月曜代休になっているが、9/15は老人の日。
今週はバタバタしていたので、実家に顔出しする日が少なかった。
まあ、涼しくなってエアコンの心配もなくなったし、今のところは大きな変化もないから、せいぜい昼飯を作りに行くくらいなんだが。
そこで今日は昼のカニ会席に両親を連れて家族で出かける。リルは留守番。
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敬老の日はここ何年か伊勢佐木町にあるカニのチェーン店で会席を食す。
年をとってめっきり食が細くなった両親も、少しずつ出される会席だと案外食べる。それでも量の少ない一番手ごろなもので十分だ。
ゆでガニ、カニ刺し、カニサラダ、カニコロッケ、カニ釜飯などと進んでいくうちに、私自身腹が満たされていくから、本人たちはいつもの倍くらいは食べてるだろう。
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4,5年前までは家でBBQしたり、鮨を買って持って行ったり、息子もわずかばかりの小遣いで健康グッズのようなものをプレゼントしていたが、今ではこのミニ会席が恒例になった。
こうなるとリルはお留守番となり、カニの匂いをプンプンさせて帰る私たちに怒りのボディアタックをお見舞いしてくる。とりわけ今日は雨ふりで、どこにも出ていないから除け者にされたうっ憤を晴らすべく、やたらと吠えたてる。
カニ料理を食べながら、そんなリルの事を想うのである。
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 どこ行くのかなあ。

カニを食べてると、身をほじくるのに忙しく、ベラベラとした会話はできないのが通常。
大きな店でも昼の部は、客が多くても意外と静かなもんだ。それで個室となると、静けささえ漂う。
夜の部は酔客でうるさいから、行かないことにしている。
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毎年聞かされるのが、父のカニ獲りの話。
今ではほとんど見られなくなった石蟹だが、父が若い頃にはたくさんとれたらしい。
この春亡くなった叔父と父は、週の半分は本牧の海岸に出かけ、南京袋いっぱいに石蟹やワタリガニを獲ってきたという。戦争前の十代の事だ。南京袋なんて今どきは滅多に見ないが、米屋に行くとたまに見かける。船から小麦などを陸揚げするやつだ。
あの袋にまだ生きてるカニがごっそり入っているわけだから、かなり重い。本牧までは4,50分は歩くだろう。かわるがわる担いで背中はびっしょり、一日中カニの臭いが取れなかったのだそうだ。
これをドラム缶を半分にした鍋で全部茹でるのだから朝から食欲をそそるだろうな。
ゆであがったカニは朝食では熱々の茹でたてのものを、おやつには冷えたものを、夕飯には酢の物やカニ汁など料理されたものが出るわけで、カニが主食といってもいいような生活をしていたわけだ。

時々、小料理屋をやっていた強欲な伯母が父たちの南京袋を見て、借金のかたにみんな持って行ったという。どうも爺様の酒代がたまっていたらしい。
せっかくの苦労も祖父の酒代に消えることが度々あったようだが、その伯母はカニとは無関係に祖父にはちゃんとつけを払わせていたようだ。利子か?
カニを横取りされた日の小料理屋には、
「朝とりの渡り蟹あり」と書かれた半紙が入り口に貼られていたという。
まったくろくな親戚がいない。
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父が山育ちの母と結婚した当初、カニなどめったに口にしたことなどない母のために、(その当時は戦前戦後にかけて物がない時代だった)父は仕事に行く前に早起きしてカニを獲りに行き、一斗缶いっぱいにワタリガニを獲ってきて食べさせたのだった。
その母の嬉しそうな顔を見て、父は週に2度は早起きした。
カニを獲るといっても、岸辺でひょこひょこ歩いてる小さなマメ蟹じゃない。
沖まで泳いで浮き上がってる奴を網ですくうか、岩場に潜って素手でつかまえる訳で、簡単にはいかない。

私の小学生時代もその回数は減ったものの、時々カニを茹でる匂いで目が覚めた。
「若い頃、あたしが獲ってきたカニと、これと、どっちがうまい?」
「そうねえ、あの頃はこんなお上品のカニじゃなかったからねえ」
まあ、母はご馳走してる私たちに気兼ねしてるわけだ。
たまにそんな話をしていたら、いつのまにか1時間半が経っていた。
デザートと一緒に出てきたカニせんべいを、私はそっとバッグに入れる。
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 これはリルのおみやげ。

父も母も若い頃のことはよく覚えているのだ。
そんな昔話で明け暮れてもいいじゃないか。
父の嬉しそうな顔を見ると、なんだか心が温まる。
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 仏壇の写真にするからね~



ぶつけられたJollyhot だが、海王さんの点検ではFRP等の損傷はほとんどなく、表面のゲルコートが剥がれただけのようだ。
バキっという音は阿保船長の懸念通り、加害者FB艇のエンジンカバーの割れた音だったらしい。船外機再上部のプラスチックカバーはミニバイクのボディ並みの薄さだから、さもありなん。それにしても大きな音だった。
で、ゲルコートのタッチアップで済みそうだ。ついでにハル磨きでもしよう。春の船底塗装ではパフ掛けプロのエンドウがいなかったので、すでにハルはくすみ、水垂れの痕が幾筋か見える。
少なくとも8月中には戻ってきそうだ。よかったあ。
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週明けからまた暑さが戻ってきたが、午前中や夕暮れ頃はリルも耐えられる。
日中はまた二人だけの生活になったので、それなりに散歩に行っている。昨日は少し床屋さんもしてやったから、なんか嬉しそうだ。
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さて今日は父のために申し込んだ在宅診療サービスの初診。
初診とはいえ、在宅診療システムの説明もあるし、診療費の振込関係もあるので長くなるだろうと予想していた。ケアマネも同席したいというので、是非にとお願いした。
あ、っていう事は座敷での説明っていう事だ。困ったなあ。
実家にはエアコンが2台しかない。かつての私の部屋と、今は父の寝室と化している茶の間でそこはリビングと共通。だが、接客用の座敷にはエアコンがない。っていうか、南と西に窓がある実家で一番暑い部屋だ。せめて冷風扇をと慌ててホームセンターに行き、財布を空にして帰ってきた。
保冷剤を入れて使うタイプなので、冷風扇の前に座れば1時間ぐらい涼しい風が来る。
だいたいリビングにエアベッドを置いて生活の場にしているのは母である。使う使わないは別にして母は3部屋も占領している。ダイニングキッチン含めると帝国の版図は過去最大。
だから財布捜すのも大変なんだよ。
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 リルのおもちゃ売り場

小柄ではきはきした女医さんが13:00丁度にやってきた。
「お元気なので、むしろびっくりしました」
というその先生は腰も低いし、話もうまい。小半時話してるだけで医者嫌いの父も納得して了承。
延命治療や手術はしない。投薬と放射線はOKというところまで話がついた。
説明や問診をしながら、それをラップトップにすごい速さで打ち込んでいく。彼女ならプログラマーも副業でできそうだ。
その間、母はそれが誰かも分からずに来客対応。父が既往症などを訊かれている時も、
「また今日は暑くなりましたねえ」と4,5回は話しかける。
その都度、その先生はキーボードから手を放して母に対応してる。偉いねえ。
とはいえ、絶対的に母は邪魔なのでキッチンに連れて行き、冷たい飲みものやおしぼりを用意させる。
近所の自治会の集金か民生委員の声掛けなんかだと思っていたらしく、彼女が聴診器を取り出すとびっくりしたように父の様子を心配そうに見ていた。
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 5年前の夏。このころはよく笑っていたんだけどねえ。

結局2時間もその先生は事細かに初診をしてくれた。
ハンディプリンタもご持参で、その場で処方箋を作成。
今すぐ飲まなければならない薬はないがカルシュウム剤は続けた方がいいとのこと。また家に常備してほしいと言うのが胃腸関係の薬2種と、気管拡張シールに抗生物質くらい。
これは私が明日にでも調剤薬局へ行く。
5年前に心不全を起こして入院した父だが、多少の不整脈は残るものの、年齢からすれば十分大丈夫だということ。
私が気になっていた咳の問題は、肺の機能低下はあるもののいつも一定の時間になることが多いようなので、その原因は環境にあるかもしれないとのこと。緊急性はないし、現時点では酸素をつける必要もないらしい。隔週で来るので、じっくり向き合うと言ってくれた。
「最近疲れやすいらしく、昼ご飯を食べるとすぐ横になってしまうんですが」
「いいですねえ。たくさん寝た方がいいですよ。動くときに動いて疲れたら寝る。健康的じゃないですか」
納得。

なんだか、父がまだまだ大丈夫そうな気持になった。
毎月お金はかかるが、へたな保険よりずっと安心だ。
私が実家に来れないボランティアの水曜日に、隔週だが来てくれることになった。これで、献身的なケアマネやデイサービスを含め、誰かが毎日実家の様子を見る体制ができあがった。
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   海上警備を怠らない船。


朝晩は多少しのぎやすくなったが、日中は未だに炎熱地獄。とてもじゃないがエアコンなしには過ごせない。いったいいつまで続くのか。
リルのために涼しい所へ行きたいが、お盆時期だからどこもいっぱい。だいたい、喫煙者は泊まれない施設が多いから、そもそもその手の宿が少ない。パイプなどふかしたら断頭台行きのご時世だけに別荘でも買うしか手がないか。
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 電信柱の影で一休み。

今日の郵便でメタボ健診とがん検診の案内が届いた。
毎年仕方なく受けてはいるが、あれもだめこれもだめと言われるから、いい加減ほっといてくれと思ったりする。どうせならペインクリニックの割引券をくれた方がよほど役に立つ。
やたら長生きしても、認知症で周囲に迷惑かけたり、屈辱的な扱いをされるんじゃなあ。
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 風のある夕方はちょっと涼しい。

父の在宅診療の初回は8/22に決まった。私も初回は金銭面の手続等があるから立ち会うことにし、ケアマネも同席することになった。
往診の結果、処置が必要となったらどうするか?
老体に苦痛を伴う検査や手術はさせたくないし、本人も投薬以外のことは拒否する考えのようだ。
体に管を通したり、電極を貼り付けたりするのも拒むだろう。
父の尊厳と、覚悟を私は守りたい。どんなに辛く悲しい結果が待っていようと、目をそらさずに見つめたいと思う。
人は必ず死ぬ。医療技術がどんなに発達しようが死からは逃れられない。覚悟を定めた老人に延命治療は必要ない。
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 楽しいひと時をできるだけ多く。

あんみつに引き続き、父の好物である豆腐を買っていく。
父は豆腐に何も足さない。醤油も薬味も一切かけない。豆腐の微妙な甘さや硬さをその老いた舌で見分ける。
「豆腐は絹ごしだの木綿だのと種類はあるけれど、私にはいい豆腐と悪い豆腐しかないよ」
スーパーで売ってる豆腐にいいものはないらしい。料理に使うならそれでもいいが、豆腐そのものを食べたい時には遠く及ばないという。
幸いにして、我が町はどういうわけか豆腐屋が多い。50m以内に3軒もあったりする。
我が家の近くにも老夫婦が営む小さな店がある。朝の8時には油揚げの売れ残りがわずかしかないような店だ。
夜更かしの私には豆腐一丁のために丘を上り下りするまでの執着心はないが、父に美味い冷奴を食べてもらうために、今日は決死の覚悟で朝7時にその店に出向いたのだった。

―本日より二日間、お盆休みをとらせていただきますー

って、こんなことなら脱獄囚に来させればよかった。
しょうがないのでさらに下って門前の商店街の一番端へ行き、父が美味いという豆腐屋で寄せ豆腐を買う。
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往きは良い良い帰りは…ずっと上り坂で汗だく。
たかが豆腐一丁で朝からバタバタ。こんなことならリルも連れくればよかった。
で、家に帰って飯も食わず、ミニバイクで実家へ持っていくとすでに9時近く。当然実家では朝食終了。
「えー、わざわざお豆腐買ってきてくれたの」
「なんだ、寄せ豆腐か。今朝も豆腐の販売車が来て、買って食べたよ」

ってさー、そういう車が来るの聞いてないし、それ言っちゃダメでしょ。
徒労の日々は暑さとともに続くのである。
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 アホか。



台風は微妙にそれて、たいした影響もなく過ぎ去ったが、もし桧原湖に行ってたらほとんど雨だっただろう。なんとなく諦めもつくがアダチ君と会えなかったのは残念至極。今では一年に一度しかない機会だからだ。
今年を最後に桧原湖キャンプはやめようと思っていたが、こういう形ではなあ。とはいえ、果たして来年の家庭状況がそれを許すかどうか…
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 牧場キャンプ場

雨の日が続くとリルが退屈する。キャンプ道具を並べ立てていた分、リルはがっかりという感じだった。一年に一度なのに「キャンプ」という言葉は覚えている。
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 つまんない。

台風通過前後の雨降りで、いい加減家の中で遊ぶのが嫌になっていたリルを近くのアーケード商店街に車で連れ出す。食事がてら、買い物がてらにその中を行ったり来たり。
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 雨降ってないよ~♪

リルの味方、アーケード商店街だがさすがに走るわけにもいかないので、ひょこひょこと歩いてはおいしそうな匂いのする店の間で立ち止まったり、誰かにナデナデしてもらったりして、なんとかご機嫌をとる。
我が家の逃亡者は、本来キャンプであったこの期間も大学へ行った。オープンキャンバスの手伝いだという。「キャンプが中止になってから決めた」と言っている。
まあ、部活の役回りなのだろう。
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 ケーキあるよ~

この四日間は毎日実家に出かける。
父の具合が優れない。午後は寝ていることが多くなった。いわゆる老人性衰弱で、何をしてもすぐ疲れる。食は細く、食欲もあまりない。
まあ、料理もできなくなった母が毎回同じような総菜しか買ってこないから無理もない。シュウマイだけはいつもごっそりとある。顔を合わせるたびに野菜が食べたいという。
家内が何かを作って持って行っても、母は”一度入れたら二度と出てこない”冷蔵庫にしまい込んでしまう。冷えたレバニラなんて最低だ。
父のためにぬか床を買い、ぬか漬けでも食べさせようとしたが、その小さなホウロウ容器は翌日冷凍室に入っていた。こんなことは日常茶飯事だ。あげ連ねたらキリがない。
宅配の弁当などを頼んでも、味が合わないとか量が多いとかで一月と続かない。ひどい時は三日で契約解除だ。これじゃあ、まともな栄養もとれない。
昨日は暑い中エアコンもつけずに、おでんを食べていた。
さすがに三食作りに行くわけにも行かないので、今年になって一度も顔を見せない弟に電話して、たまには助力しろと訴えた。弱ってきた父だが自力ではかかりつけ医に行くことも難しいので、ケアマネと相談して在宅定期診療を頼むことになった。
隔週で往診してくれるしその報告はケアマネも共有する。いざという時は24時間365日体制で即座に来てくれるという。
かかりつけ医の紹介状がいると言うので、昨日夏休みにはいろうとしていた町医者をつかまえて説明。今日は在宅医療システムの事務所に行って申込書を提出。だいたいこの手の事務作業や手続きは私がやっている。死ぬまで事務仕事とは縁が切れそうにない。

事務所は離れた区役所近くなので、ミニバイクで行く。信号で止まるとヘルメットは暑いねえ。
帰りがけ、伊勢佐木町に寄って昔なじみのあんみつを買う。
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私が生まれ育った街の老舗だが、ここのあんみつは母を喜ばせるに違いないと思った。
私が小学生くらいまでの記憶は母の中にまだ残っている。
昼前で、あんみつを食べたら昼食を食べるかどうかちょっと心配だったが、二人が喜んで食べてくれるのが一番いい気がしたのだ。
案の定、母は目を輝かせて喜んだ。父も黒蜜が美味いと微笑み、少年時代の駄菓子屋で食べた蜜豆の話をした。
でも、私は知っている。
この二人が結婚する前に、伊勢佐木町の甘味処で度々会ってはあんみつを食べていたことを。
少年時代に近所に住んでいた伯父からそっと教えてもらったのだ。
父も母も私の前ではそんな話はしないが、きっと母の残されたわずかな記憶にも、その時同じように少年時代の蜜豆の話をしたであろう父の思い出にも、甘いあんみつの味が蘇ってきたのだろうと思った。
二人ともぺろりと平らげた。
一時の幸せがあるからこそ、人は生きていけるんだ。




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