D旗たなびく

忘却甚だしく、メモ代わりにちょっと書くだけ。 コメントは受け付けていません。

カテゴリ: 家族

スマホ25か月目に到着。
結果的に、いつも2年ごとに乗り換えをしてきたスマホだが、面倒なことこの上ない。
たいして使いこなせてはいないから、別に最新のものなど買う気もない。ただ、不思議なことに2年以上経つと必ず不具合が起きる。
で、機種を変更するか乗り換えるかを考えることになる。
どのキャリアもどうして機種変更する方が高くなるのか全く理解できない。長く使っているユーザーをないがしろにしているとしか思えないよなあ。
そして、各社訳の分からぬ料金体系にキャンペーンだので期間限定の値引きする。その時期乗り換えないと損ですよとまで言う。
この一月ぐらい、パンフやネットで比較検討してみたし、量販店に行くたびに説明を聞いてきた。
量販店のキャリア制服を着た店員などは「絶対乗り換えですね」と太鼓判を押し、他社を推薦したりもするから、あのAUとかソフトバンクのユニフォームは1週間ごとに着まわしているんじゃないかとさえ疑いたくなる。

本日25か月目に突入したので、迷うことなく格安スマホ店に家族で出かける。リルも一緒。
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格安モバイルは結局のところアウトレット商品に、人件費やサービスを抑えて基本料を抑える仕組み。
まあ、ビッグ3のキャリアがバックについているので通信上の心配はない。

ずかずかと入っていき、
「これと、これと、これください」と飴玉を買うように言う。
こりゃ上客だよな。
料金体系や料金シュミレーションはすでに学習済みだし、選んだ機種の内容もほとんど熟知しているから余計な説明はいらない。

この格安スマホ店の料金体系はいたってシンプル。簡単に言えばデータ量の異なる三種類しかない。
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なので、全然迷う必要がない。
でも、MNP含めた審査やコンプライアンスに基づく説明は一通り行うからたっぷり1時間はかかる。
リルは店内に入れないから道端に置き捨てられ、交代でその辺を散歩。
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 終わったぁ?

機種はそれほど新しくはないが、現在のものよりちょっとだけグレードやストレージが高くなっただけ。とりわけ息子のストレージは128GBにしてもらう。
3人で現行のプランより4000円/月 近くやすくなった。

午後からはデータ移行等にいそしむ。
キャリアだと初期設定までしてくれたりするサービスがほとんどないから、メール設定からデータ移行やアプリまで全部やらなくてはいけない。
クラウドを使っていて助かった。
夕方には終了。
今日はさんざん待たされた上、帰宅してからもみんな黙して下を向いていたので、リルは不満顔。
散歩に連れ出し、途中でタカハシに試しのSNS通話をしてみる。
OK!

スマホ新しくなりましたあ。
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 だから?

昨日も日本語教室に新しい外国人が二人来た。この時期は1年で一番出入りが多い。
タイと中国の女性で、中国の女性は私が見ることになった。
「いつまで勉強できますか」と訊くと、英語交じりの日本語で
「来月、中国へ帰ります」という。
え?来月?それじゃあ、2回しかできないじゃないの。
”来月”が間違っているかもしれないと思い、英語が話せるようなので英語で聞いたがやっぱり"NEXT MONTH"。
むー、何を教えればいいんだ。
いろいろ聞いていると、どうも子供がこの4月から保育園に入園した模様。旦那はIT関連だが…
いつ日本に戻るのかと問うと、分からないという。ビザの再申請でもなさそう。なんだかよく分からない。
1225蘇州寒山寺2
 蘇州寒山寺

ボランティア後、いつもの中華屋さんでその話をすると、中国人のおかみさんが「今の20代,30代は怖い」という。
要は高度経済成長の中、一人っ子政策で甘やかされて育ってきた世代で、小さい頃は中国でもまだ家族意識が高かったから、親戚からも近所からも大事にされた為に、わがままで計画性が無く、ちょっとでも困るとすぐ身内にすがりつく傾向があるのだという。日本のゆとり世代よりも奔放に生きてきたのだとも言う。(娘さんはゆとり世代)
むー、でも今ビザの延長申請で一時帰国してる宋さんは同じ年代だけど、全然そんな感じではないけどなあ。人によりけりだよな。
でもまあ、子供が保育園に行って入園式の当日にいろんな説明を受けて、まったく理解できなかったのでうちの教室に来たのだろう。この手の外国人は多い。
もしかしたら、帰国し、親を説得して子供を預かってもらうのかもしれない。確かに計画性がないかもしれない。


ここのところ保冷剤を積載したサンダーバード2号で毎日2往復していた実家だが、午後からやっと新しい冷蔵庫が届く。
午前中は、冷蔵庫の中身を整理したり、門扉を外したりして梱包されてくる冷蔵庫の通り道を確保する。せっせと中身を食べつくした結果、本日の昼食は自分の分がないので一旦帰宅。
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 留守番で不機嫌なリル。

同時並行でケアマネに依頼していたシャワーチェアなどが届いたり、父のデイサービス申請が通ったりして包括センターにも日参。ケアマネも懇切丁寧なのはいいのだけれど、なんでもかんでも私に連絡してくるから忙しい。シャワーチェアの見本を持っていくから立ち会ってくれとか、風呂場の手すりの取り付け位置はどうするかとか、そういうのは本人たちに聞いてくれというようなものまで連絡してくる。母だけならともかく、少なくとも父は認知症ではないしきちんとした判断能力を持っているのに。
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   シャワーチェア

今日もデイサービスの利用料金をめぐって計5回の電話。月にいくらぐらいかと聞いただけなのに、訂正に訂正を重ね、最後には最初の金額の3倍になっていた。こうなると”うざい”。っていうか、全然仕事ができてない。エンドウだってそんなに間違ったりしない。

リルの散歩を終え、遅めの昼を食べるとなんだか疲れてしまって、冷蔵庫が来たら連絡するようにと電話してボケーっとしているうちに居眠り。

目覚めると4時。電話が鳴れば聴導犬もどきのリルがその3倍くらいその無駄吠えで起こすから、変だなあと思って実家に連絡。
「冷蔵庫?そんなの聞いてない」は母。その後ろの方で「もう来てるだろ!」と父の声。
で、実家へ。
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 今日は暑いくらいなのに…

なにやら不機嫌な父の話では、冷蔵庫を配送してきた業者に床の傷防止マットを5000円で売りつけられたとのこと。いままでそんなものを敷いたことはなく、ましてや築40年の古家。床は傷に満ちている。
多分、母がハイハイとOKしたのだろうと思ったが、そうではないらしく、なんの説明もないまま設置し終わったら付いていて、マット代金を請求されたという。しかも、あらかじめから領収書を持っていたらしい。悪質な押し売りだ。クーリングオフしようにもそのマットを取り除くことなどできるわけがない。そのうえ、その領収書には業者の住所も電話も書かれていない。
この手の処置はすべてJollyhot生活安全課に持ち込まれる。

発注元のY電機に電話。案の定あちこちに回され、折り返し電話するという。
電話を待っているとまたケアマネからの電話。ええい!うるさいぞ!
なかなか折り返し電話がかかってこないので、再度電話すると、
配送担当からは「マットの紹介をしたら、設置の依頼を受けたので適正な価格で設置した」との連絡を受けたという販売担当者。
財務省の答弁じゃないんだからさあ。
「あなたの対応を含めて消費生活センターにこの一件を連絡をする」というと、その担当は急に低姿勢になった。明らかに下請け配送とグルなんだなとわかる。
安さを売り物にしている量販店は配送や設置にかかわる業者と委託契約を結んでいる。自前で配送などはしない。品物が薄利な分、委託業者に無理難題を吹っ掛けるから、その委託業者もアコギなことをするという図式だ。品物は安くても思わぬ落とし穴がある。
結果、おそらく、”サービス”という形でキャッシュバックされるだろう。決して泣き寝入りはしない。

最近はオレオレ詐欺に代表されるような年寄りをあの手この手で騙す事件が横行している。実際、実家にもそういう電話がかかってくる。こうした風潮を私は絶対に許せない。
いったい、日本人の良心はどこに行ってしまったのだろう。こうした年寄りたちが、極貧の中から戦後復興にどれだけ汗水流してきたことだろう。
敬老などという儒学精神など知らなくてもいいけれど、今の日本を築いた人たちの苦労は知っておいてほしいものだ。
ふと、昨夜の中華屋さんでの会話を思い出した。
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 こわいねえ。

息子が学校に出かけたら、マリーナに行こうと企んでいた。
南の微風、晴れ。予想最高気温20℃。
暑くもなく寒くもなく、雨でもなく日差しが強いわけでもなく、こんな日は滅多にないからなあと支度をしていた時、実家から電話があった。
「冷蔵庫が冷えないみたいなんだけど、今日は時間あるか」
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父の話では、製氷もできてないし、庫内温度計もアルファベットが出てくるだけだという。如何せん、冷蔵庫が全然冷えないという状況。
国際救助隊にお呼びがかかった。

仕方ないので釣り用のアイスボックスに我が家の冷蔵庫にある保冷剤の大半を入れて、サンダーバード1号(ミニバイク)で様子を見に行く。
父が引っ張り出してきた取扱い説明書のトラブル項目を読んで、あれこれいじってみたが一向に冷える様子がない。購入したのはいつかと訊くと、12年前だという。
サーモスタットがダメか、冷媒がなくなったか、こりゃもう寿命かな。
白物家電の多くは製造停止が8年前後、修理用パーツも10年で製造打ち切りになる。また、それに合わせるかのように耐用年数が切れる。
取り敢えず、どうでもいいものをアイスボックスに移し、持ってきた保冷剤を庫内各室に入れ込んだ。
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2週に1度は家内が点検し、危なそうな食品は否応なく廃棄してるが、認知症の母はとにかくなんでも冷蔵庫に入れるから埒が明かない。食中毒には気をつけなければいけない時期だし、ここのところ気温が5月並みだった。
「いつ冷えてないって気が付いた?」
滅多に冷蔵庫を開けない父が製氷できてないことに気が付いたのが3日前。おそらくその前からしばらく”食品棚”になっていたに違いない。母は毎日何かを入れ込んでいるが、本人自身寒暖差が分からなくなっているので、そんなことに気づくわけもない。
畳いわしのような乾物、カニ缶、絶対食べられそうにない何年か前の蕗みそ等々、出てくる出てくる。
家内はいったい何を捨ててくるんだろう?
この分じゃ、冷凍食品も自然解凍になってるに違いない。有無を言わさずごっそり捨てる。
結局、冷蔵庫は新しいものを買わないとだめだということだけ分かったので、一旦家に戻り冷蔵庫の中身しか興味のないリルを乗せ、
サンダーバード2号(車)発進! 
まあ、そんなことでも考えないとやってられない。

それから、父を乗せて近くの量販店のY電機へ。
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容量があればあるだけ母がなんでも入れ込むし、食の細い老人二人にはコンパクトなもので十分。
我が家では冷蔵庫と言えばシャープ。どちらからでも開閉できる扉は未だに独占特許。へたな観音開きより使い回しがいい。迷わずシャープの売り場へ。(回し者ではありません)
おそらくは人生最後の冷蔵庫になるであろう逸品を見出す。
が、在庫がないので配送に2週間かかるという。
そりゃ、ないよ。
で、他の量販店に行くことにした。

スーパーの2階のN電機にも、目指すシャープの冷蔵庫はあった。
が、こちらも配送までに3週間ほどかかるという。
転居や就学・就労のこの季節、人手不足のために引っ越し業者や宅配便が相当の遅れを出しているという記事は知っていたが、それに輪をかけてメーカーも生産ラインを減速してるに違いない。
冷蔵庫の生産っていうのは3月、6月にフル稼働するんだろうな。などと考えながら、最初の量販店で聞いた、唯一翌々日配送できるというシャープ冷蔵庫に決めた。
自動製氷などの機能やランニングコストでは目指していた製品には見劣りするが、在庫が数台あるという。
父なぞは買いに行けば即日配達されると思っていたから、その配送の遅さに呆れていた。扇風機じゃないんだからさあ。でも、実際Y電機の冷蔵庫には「即日 翌日配送可」という張り紙が大半の機種に貼られている。
看板に偽りあり。と、なんだかんだと言いつつも広い店内を歩いて少し疲れ気味の父。気が付けば昼を回っている。
母に電話してスーパーのベーカリーでパンを買っていくと伝える。そのベーカリーもエスカレーターからは対角線の端。これ以上父を歩かせられない。
サービスカウンターで聞くだけ聞いてみた。
「手押しの車イスみたいのありませんかねえ」
「あるよ」と、なにかのドラマで聞いたようなフレーズで、車いすを貸してもらえた。
サミットさん、えらいねえ。
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家に一旦帰るや否や、父は相当疲れたかベッドに横になった。
母に状況を話しても、適当に相槌を打つだけだし、そもそも私たちがなぜ出て行ったかを忘れているから説明しても暖簾に腕押し。

昼食を済ませ少し父を休ませ、再度最初のY電機へ。広いんだから車いすぐらい置いておけ!
敗残兵のごとく私の肩に腕を回しながら、真っすぐ目的物に向かって進み、かすれた声で係員に「これください」という。こりゃあ、冷蔵庫というより霊柩車行きになりかねない。
あれから3時間と経ってないのに、配送は3日後になるという。
運送業界は外国人の雇用をもっと考えた方がよい。だって高齢者雇用では埋まらないだろう。

その場で手続きしキャッシュで払い込み、実家に寄って家に帰ったらもう3時。マリーナどころかリルの散歩すらまともにしてやってない。
で、ダラダラと散歩。
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 足痛いの?

サンダーバード、救助終了。
でも、これから3日間、朝と夜に保冷剤を持っていくことになるなあ。

生きていることが楽しいと思えるようなことを父にしてやりたいと思う。
桜が散って、その華やぎや賑やかさや、或いは新入学や新人入社などという春めいた気分が落ち着き始めると、父が後ろ向きに考え始めていることに気づかされる。

来年の桜をまた見るのだろうか。また見なくてはいけないのだろうか。
沈殿したような毎日の繰り返しに我が身をいつまで晒すのか。

その小さくなった背中が私に問いかける。
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 MM21は父が生まれた場所だ。

昨日はまだ授業がない息子がゴロゴロしていたので、リルも引き連れて昼食を作りに行った。
完璧に中華チャーハンを作れるようになった息子に全部やらせてみる。
こんな日はセラピー犬としてのリルにもたっぷり愛嬌を振りまいてもらう。
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 おとなしくしてたのに。

母はとても嬉しそうだったし、父も顔がほころぶ。
息子のチャーハンは上出来で、中華街のそれと大差ない。母もびっくりしていた。
が、父はパラパラのチャーハンがあまり好きではなったことに途中で気が付いた。父は水分たっぷりの柔らかい白飯を好む。
このこだわりはいつ生まれたのだろう? 戦後か、それとも戦前の生活か?
白米を炊くということ、混ざりもののない米であるということ…
私も父が好むその柔らかいご飯を食べて育ったが、旅館や料亭で出る飯の美味しさは否定しがたい。
家のご飯よりおいしいと思う。
しかし父はどんな高級旅館の食事でも、家の飯より美味くないという。
柔らかくて水気の多いご飯へのこだわりは、なにか目指す味があるようで、度々電気釜を新しくしたり、コメのブランドを変えたりするのである。
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私が実家で焼き飯の類を作るときは、あえてベチャベチャにする。
卵のコーティングを省いたりすることもある。今までで一番評価が高かったのは表面がパリパリしないベチャベチャのパエリアだった。

いったいどんな白飯を求めているのだろう。
「チャングムの誓い」という韓国ドラマに、年老いて余命いくばくもないサングンが昔宮中に上がる前に食べた米を、死ぬ前にもう一度食べたいとリクエストするシーンがあった。
チャングムはそれをつきとめて食べさせることができたわけだが、私も父がこだわるご飯を食べさせてやりたいと思う。

父が好きな小肌のにぎりも同様。
江戸前の小肌は、しっとりして独特な酢〆をする。コノシロになってしまうとその繊細な歯触りが崩れてしまう。とてもわずかな期間にしか小肌は食べられないし、その漁獲も減った。
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 こはだ。

回転ずしではシャリにしっとりした握り感が出ない。だいたい機械でシャリだけつくるからだ。
つやつやしたシャリを中は柔らかく、周りはややしっかり目に握る職人の鮨は今は滅多にお目にかかれない。
少しそんなものを捜しに食い歩きでもしてみようか。そんなことをあれこれ考えているのである。

脚のわるくなった父を旅行に連れ出すのは難しい。息子が好むブッフェスタイルの夕食ではとうてい父が食べたいものとは縁遠くなる。
だからと言って父は懐石料理や割烹料理を食べたいわけではない。

先日、スーパーのイベントで「昔懐かしい駄菓子」を販売していた。昔、父がよく野球中継を見ながら頬張っていた”塩豆”があったので、何気なく買い求めた。
その塩豆を父に持っていくと、相好を崩してとても喜んだ。塩分の獲りすぎになるから一度にたくさん食べないようにとくぎを刺したが、二日後には一袋さっぱりなくなっていた。
「また、あれが食べたい」とか「あの店に行きたい」とか、なんでもいい、父が楽しいと思えるようなものを提供したいと思う今日この頃である。
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昨4月2日は両親の誕生日だった。昼間からケーキを買って祝いに行く。
二人とも同じ誕生日。婚姻届けを出すとき初めて気が付いたという。
「なんでこの人は私の誕生日を書いてるのだろうかと思った」とは母の弁。
父94歳、母は85歳になった。

叔父の死は父に寂寞とした孤独感をもたらしている。無言で折り紙をしているその縮こまった背中がすべてを語っていた。
0戦乗りだった父の長兄は南方で撃墜死している。次男は夭折、なので父には祖父の一字にサブローの名がついている。
多くの戦友や幼馴染を戦争で失い、友人や仕事仲間もすでにこの世にはなく、毎年出す年賀はがきは2枚のみだ。その二人すら、生きて二度と会うことはないだろうと言っている。
自分だけが生き残っていることの寂しさは、「死んでいった者の分まで生きる」と誓った終戦の日の決意を揺らがせている。
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それでも叔父が生きていることは、言葉には出さねど長年にわたる一つの支えだったことは間違いない。
誕生日のケーキを喜んでいる母の横で、自分と叔父の一生を反芻しているかのように、少し口に運んではなにか一言感想を述べ、そしてまた沈黙する。

そんな父に終戦後の話をせがむ。
ぽつりぽつりと話し始める父の頭にはきっとその当時の記憶が天然色フィルムとして蘇るのだろう、たまに止まってはその時の匂いさえも思い出そうとしているようだ。

復員後、GHQの下請けで人夫をしていたという。砲兵だった父にはそれしか仕事がなかったらしい。傷痍軍人などもいたが彼らは軽作業に回され、体が丈夫なものはトラックへの荷積み作業。一袋50kgの麻袋を日がな一日運び続け、15円の給金をもらっていた。荷物チェックの軽作業者も同額だったらしい。
当時の15円がどのくらいの価値かは分からないが、他の日雇い労働よりはかなり厚遇だったそうだ。
が、仕事が毎日あるわけはなく、平均で週に3,4日というところ。
当時22歳の父は生きていくためとはいえ、やはり少し前まで敵だった米軍にこき使われるのは屈辱だったという。荒廃した中でも、将来を見据え、きちんとした日本の会社で定職に就きたいと思っていた。
1年ほどその仕事を続けたのち、唐突に解雇され、町工場や建設作業の臨工いわゆる”土方”を転々とする。給金はGHQの半分だったという。
ある日、あばら家を訪ねてきた戦友の紹介で鉄工所の臨工となるが、きちんと給料が出ていたのは最初の三か月で、あとは遅れ遅れとなり、昭和23年から24年にかけてはほとんど給料が出ずただ働き同然。仕事前に海に行ってワタリガニを獲り、仕事が終わると近所の木工所を手伝って、わずかな謝礼をもらって一家を支えていた。
極貧の生活の中で祖母が本当に苦労したという。家財道具は無論こと、残ったぼろ切れみたいな着物も売りつくし、あちこちの店から「つけ」でどうでもいいような腐りかけの野菜や切り落とした魚の頭を買ったりし、くず鉄を拾ってはわずかな日銭を稼いだ。そうやって、その日のその日の飯にありついた。
多少の差はあっても皆同じような生活をしていたのだという。
そんな中で叔父が昭和石油の職を拾ってきたのだった。臨時工とはいえ、GHQの日払いを上回る賃金がもらえ、翌昭和25年になると正規採用となり、朝鮮戦争が勃発すると給料も一気に引きあがった。
父が極貧の生活から脱しえたのは、叔父の”土下座”までして頼み込んだ口利きによるところが大きい。
20年一緒に働いたが、外資のシェル石油と合併することになって、叔父はどうしてもそれが認められなかったらしい。軍国少年だった叔父は長兄の命を奪った国の企業を受け入れられなかったのだという。戦地に行けなかった叔父はずっと戦後を引きづった。

とまあ、つらつらと話を聞いてきたわけだ。
で、その息子はというと、父や叔父や祖母の苦労を尻目に、闇市に入り浸っては訳の分からぬ酒を飲んでフラフラと花札賭博に興じていた祖父とあまり変わらないわけで、隔世遺伝という感じか。
まあ、当時75歳前後で老境の域。道具もなく材もない宮大工なんてなんの役にも立たないと感じたのかもしれない。戦争で亡くなった長兄を跡継ぎにしようと考えていたのかもしれない。
すべてを失って、1から出直すには年を取りすぎていたのだろう。そんな同情も父の話からは感じられた。
息子にはできるだけ父に似てほしい。

血のつながりがあるかのごとく私に似たリルと午後からマリーナへ。
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 久しぶりのフィッシュ&チップス。

父のことをあれこれ考えているとこちらまで辛くなるから、今日は先日の続きでインペラ交換。
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  ヤンマー1GMのインペラ。

インペラシャフトを外すのは面倒だからと、インペラカバーのみはずして付け替えることにする。
なにしろエンジンルームは狭い。それに揺れるし。
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3か所ねじ止めされているカバーだが、やはり1か所だけ回しにくい。普通のメガネレンチだと回す余地がない。径7mmだからネジ頭が小さい。
設計者を罵倒しながら、なんとか取り去る間、リルは自分が叱られていると思って神妙。
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 傷だらけのインペラ。

インペラを取り付けるのも結構難しい。全羽根を無理矢理左に曲げてシャフトにねじ込む。絶対に片手ではできないくらい窮屈な装着で、グリスも塗ってあるから滑るったらありゃしない。
ただ付け替えるだけで、口ではいかにも簡単そうに言えるけれど、こいつだけはやったものしか分からない苦しみがある。
作業が終わって、カバーをつけようとしたとき、ひらひらとパッキンシールが落ちてエンジン下の水だまりに落ちた。
水だまりは塩水とほこり、グリスと若干のオイルで構成されている。いわば不純物の混合液。
ティッシュで拭いてみたが、やーな予感がする。

作業を終えて、エンジンをかけると案の定冷却水がカバーの隙間から漏れ始める。
おいおい、勘弁してくれよ。交換する前の方がいいじゃないの。
で、今度は手抜きせず前回同様アッセンブリから取り外す。今度は念には念を入れて薄っぺらいシールを拭きまくる。(だいたいシールって1回はがれるとちゃんと付かないんだよね)
結局トータル3時間以上かかって、作業終了。
で、エンジンを回してみると…

うへ、だめだこりゃ。

夕暮れになってきたので、とりあえずシリコンをカバーの周りに塗って出てきた。
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  散歩する?

来月ジンク交換するときに新しいのをつけなおそう。
元の木阿弥、徒労で終わる。
図工2の本領発揮だが、これはいったい誰からの授かりものだ。




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