D旗たなびく

忘却甚だしく、メモ代わりにちょっと書くだけ。 コメントは受け付けていません。

カテゴリ: メモ

唐突ではありますが、このブログを終了することにしました。
再開の予定はありません。

私自身の絵日記と友人たちへの近況報告で始めた「見てもらいたくないブログ」でしたが、諸般の事情により、本日をもって終わりにします。どうかお察しくださるようお願いします。
ごく少ない我が友人たちやブログ仲間に支えられて約5年、表題を変えながら書き続けましたが、ここが潮時のようです。これからは私がすべきことをするのみです。
いままでのご愛顧に感謝します。また皆さんのご多幸を願うばかりです。

この絵日記、私にとっては前ブログ同様とても大切な日々が綴られておりますので、しばらくの間はこのまま放置します。テキストだけでも写し終えたら閉鎖する予定です。これには相当の時間がかかりますから、時間のない私にはいつ完了するかわかりませんが…

長きにわたり、どうもありがとうございました。
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いよいよ日本語教室も始まった。早速に新しいチリ人の学習者が加わり、家に帰ってひと心地着いた午後11時半過ぎに中国人から来週参加のメールが届いて正月気分が完全に吹っ飛んだ。
昨日の夜はやたらと寒くて、ミニバイクで出かけたにしてはちょっと薄着だった。首とヘルメットにできた隙間を冷たい風が吹き抜けていく。サブっ!そんな寒さでターホーと八ヶ岳を思い出した。
ターホーが来てから1週間経った。大笑いしたあの日、つくづく我が友人たちの記憶の良さに畏れ入ったのだった。私の発した言葉をみんなよく覚えているよなあ。
そんなエピソードに掘り返されて記憶の底に眠っていた光景がまざまざと蘇ったので、また忘れないうちに書き留めておこう。
今日は個人的メモなので御用とお急ぎのある方はここまで。
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 フン、そんな暇ないよ。

例えばこんな話、表題を付けよう。
「ターホーのペンション計画」

新人当時、八ヶ岳で家の近いターホーは夜になるとたまに私たちの家に遊びに来ていた。また私が彼の下宿先に行くこともあった。
東京本社から八ヶ岳に出向した同期4人はそれぞれ仲が良かった。 まあ、コンビニや居酒屋があるわけでもなし、都会の喧騒とは真逆に近い、人家もまばらな高原では、お互いの話をする以外楽しみがなかったと言ってもいい。
4人とも別な部署に配属されていたから仕事中に顔を合わすことはあっても、おしゃべりをしている時間などなかった。(部署によっては昼食時間も異なった)それぞれが半年ごとに部署を変えられるので情報交換が必要だったこともある。
冬になると稼働率も下がり、その分帰宅時間も早くなったから私たちの交流も少しずつ増えて行った。
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その日も、雪が降り始めて夜はマイナス10℃くらいになった。
ターホーの下宿は母屋続きで暖かい。私は当たり前のように彼の下宿に行った。
赴任した時から彼の夢は自分のペンションを持つことだった。新入社員のくせに公言して憚らず、それは口癖のように聞かされた。
夏が終わり秋が過ぎ去り雪が降る冬になっても、まったくその夢は揺らがない。 ただ、毎月の給料とペンション建設費の乖離は甚だしく、彼の計算によれば現状の給料額ではペンションオーナーになるのは40年から50年後、当時の相場で中古を購入しても30年は節約生活が強いられる。
「お前さあ、それじゃあ家族どころか結婚もできないよ」
ペンションの多くは家族経営だ。家族の助力なしには無理がある。
「まずは共稼ぎすることを前提に結婚を考えた方がいいんじゃないの?それだって高いハードルだ」
ペンション
 八ヶ岳のペンション

その頃のターホーは(今もだが)まったくと言っていいほど異性に興味がなかった。
当時レストラン部門にいた彼は、その制服の着こなしのだらしなさとか言葉の不明瞭さを毎日のようにフロア主任から指摘され、朝が弱いこともあっていつも眠そうな目をしていた。
簡単に言えば“ダサい”。
金を溜めたいがために守銭奴のごとく1円たりとも無駄にしない。
私を含めて他の3人は夏すぎには中古車を買っていたが、彼は冬になっても会社から借りたカブに乗り、着ぶくれて丸々になった格好で八ヶ岳の吹きすさぶ風の中を20分かけて走ってくるのだった。
「マフラーがたなびいて格好いいだろ?」と彼は言うが、どう見てもダルマが首を絞められているようにしか見えなかった。
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 ターホーが下宿していた家(現在)

その日、彼が重要な計画を思いついたというので、どうせペンションの事だろうとは思っていた。夢を語るのはいいが、何度も聞かされてるといい加減飽きる。 だいたい、私には無縁だ。
どうせあいつの下宿に行ってもお茶一つ出てこないからと、私のとっておきのチョコバーを持っていく。そんなものさえ会社の土産物売り場にしかない。

「俺は天才的にひらめいた」
「ふんふん、で、何をひらめいた」
「今のままではペンションも退職後になっちまうだろ?」
「まあ、ペンション(年金)って元々そういうものだろう。老後のゆとりある生活ってやつだな」
「いや、それじゃあ困る。俺の豊かな人生は老後にあるわけじゃない。この会社に入ったのもここでペンションに必要な様々なノウハウを勉強するためで、40年働くなんて考えてもいない…」って彼の話はやたらと長い。
「だから、その天才的なんだらってなんだよ」
「むー、俺はこの2か月というもの全力で捜しまわった...」
確かに、私が来ることを予定していたらしくペンション関連の書籍や雑誌等がごっそりと置かれていた。
彼はその中の「全国ペンションガイド」(まあ、そんな題だった)のページを開き、
「これこれ。ここだ」と、隣県原村のペンション紹介の写真を指し示し、一人で悦に入っている。
もったいぶってるから全然その意味するところが分からない。
「俺は、決めた。今日ここに行く」
「は?だってもう7時近いぞ。予約してあるのか?」
「行けば、こんな寒い日だから入れてくれるに決まってる」
「おいおい、そりゃ無謀だろう」
この後、長々と趣旨説明される。
今の給料ではとてもじゃないがそれこそペンションなんて手に入らない。家族は必要だがそれも金がかかって、夢のペンションは遠のくばかり。このペンションのオーナー紹介を見て天才的にひらめいた。

「そうだ、ペンションオーナーの娘と結婚して婿入りすればいいんだ!」

まあ、確かにその写真には家族が載っていて、二十歳前後と思われる一人娘が可愛く微笑んでいた。
「な、いい考えだろう。むー、何度考えても俺は天才的だ」
「あのな…」
お前のような野暮でダサい男が一晩泊まったところで、その娘がどこの馬の骨かもわからないお前を好きになってくれるわけがない。だいたい長い冬を人も来ないような原村で過ごしているとは考えにくい。よしんば、その娘に会えたとして恋愛から結婚、婿入りととんとん拍子に行くものか。
などとそのくだらぬ案を理路整然と却下。
「ううん、確かにお前の言うことは説得力がある」ってさあ、お前以外の人間は誰でもそう考えるだろ!
「じゃあ、この計画を推進するためにはどうしたらいいんだ」
やめとけと一喝するも、なんだか本人の夢にケチをつけてるようで気がとがめた。
「そうだなあ、今のお前を改造しなきゃな。どう見たって“貧相”が服着て歩いてるようにしか見えない。それに、この娘だけをターゲットにするのはどうかなあ?下地が下手な鉄砲なんだから数打たないとな…」
とかなんとか、気が付けば思いっきり巻き込まれて、あいつの案を検討していた。
「まあ、10年くらいはかかるだろう。足しげく通い、親し気に話しかけられるだけでも時間がかかる。その間、おくびにも将来ペンションをやりたいなどと口に出してはいかん。それと並行してその娘の父親、つまりオーナーに気に入られるよう暇さえあれば雪かきだの下草刈だのをしなけりゃいけない」
「ふんふん。そうやって気に入られれば、自分の跡継ぎは俺しかいないってことになるな」
「そこが大事なポイントだが、そう簡単にはいかない。万が一、いや億が一、その娘とうまく結婚話が進んだとしてだ、彼女が諏訪に住みたいとか、東京に住みたいって言ったらどうする?」
「えっ?いや、それは困るな。だから、ペンションをしたいって言って…」
「甘いね、誰があんな人里離れて雪に埋もれたところで生活したい?さっきからお前がペロペロ舐めてるチョコバー一つ売ってないんだぞ。そんなところで育ったら普通便利な都会で暮らしたいって思うだろう」
「そんなもんかなあ…」
「そんなもんだ。だから結婚して仮に甲府かなんかに新居を構えても、信玄公のごとく3年喪を秘せ」
「それじゃあ、どんどん遠ざかるじゃないか」
「人間急がば回れだ。そうやっているうちにこのオーナーは還暦になるな。足腰がだんだん思うように動かなくなってくる。そこでお前が仕事を休んででも手伝いに行く」
「なるほど!」
「親の心配をしない子供はいない。白髪交じりの父が、腰が痛いだの、風邪で寝込んだのと体の不調を訴えるようになったとき、ふと横を見ると薪割してるお前がいるな」
「むー、なかなかリアリティが出てきた」
「そこでお前が一言」
「なんて?」
「お父さん、僕にペンションを任せてください」
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 ターホーの下宿よこにある池

なんか書いてて笑い疲れた。今日はここまでにしょう。
続きは明日にでも書こう。
今日は逃亡者がたまたま家にいるから、飯づくりがある。
家でゴロゴロしてないで、リルの散歩に行け!
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 本日の昼食、焼きカレー。


息子はまた台風の北上とともに合宿へ出かけて行った。
今も小雨が降っているが、合宿先の那須はこれから連続してやってくる台風19,20号の影響で大雨。とりわけ20号は直撃もありうる。河口湖にしろ、家内の帰省にしろ、我が家は呪われたように台風を呼び込んでいる。日ごろの行いが問われるな、まったく。ろくな夏じゃない。
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 どこにも行かないで良かったなあ。

昨日はかつて上司だった方(Sさんとしておこう)の通夜に行ってきた。私が20代後半に世話になった方だ。退職してから30年、齢90。最期となった日は2時間前までは家族と普通に会話していたそうだ。ソファで横になって眠るように逝ったと聞いた。老衰だった。
小柄でキンキンとした声が響く、とても直截な方だ。確か生まれは日本橋界隈だったから、「ヒ」と「シ」の区別がつかない江戸っ子のベらんめい口調が印象的なボスだった。
Sさんは事あれば誰に対しても真っ向から叱責するので、彼を嫌う職員も多かったが、汗を流すことをいとわず、物怖じせず行動に移そうとする彼の手腕を高く評価する人もいた。
今ではとても考えられないような上司像だ。
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私は事務方として、他の人よりも多くの時間をSさんと共有した。当時どれだけの人が私の仕事に理解を向けてくれただろう。どんな職種の仕事にも深い理解をしめしたSさんだが、私への信頼は特に篤かった。
時々誰にも漏らせないような愚痴も聞かされた。まだやっと仕事をこなせるようになったばかりで、やたら血の気の多かった若造に、あからさまな胸の内をさらすこともあった。
「こんなご時世だからさ、やるべきこと、言うべきことをはっきりしねえとなあ」
強引とも、感情的とも映るような言動の数々を、Sさんはちゃんと自覚していた。自分を反面教師と捉える人への理解もあったし、それをまた期待するようなことも言っていた。
「動かねえで、しらっと見てる奴が一番始末が悪い」

昭和の元号とともに退職なさったが、下町生まれの私にはどこか懐かしい、愚直なまでの正義感を持った近所のオジさんのように思えた。少なくとも、ことなかれで責任回避ばかりするような、或いは何もせず偉そうにふんぞり返っている御仁ではなかった。
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Sさんにはご長男と、知的障害のある娘さんがいらっしゃった。
当時、肩書を持った人が退職すると、関連業界へ嘱託雇用されるのが通常で、言わば天下り体質。
だがSさんは、退職すると即刻福祉施設のボランティアをやり始める。2年後には施設長になっていたが、頑なに自分だけは無報酬を貫いた。
きちんとしたビジョンを持ち、当時としては珍しかったパン工房を施設内に作った。
「障碍者だからって、慈善の気持ちで買ってもらうようなものを作ったりしねえから」
本格的なパン職人を雇って、障碍者への指導に当たらせ、保護者とともに天然酵母のオーガニックパンを製造販売すると、口コミでその美味しいパンは評判となり、店頭販売は2時間もすると売り切れ状態になった。
売り出した当初は、私も売り上げに協力するために、職場での予約販売を積極的にすすめたが、2年もしないうちに配達人員が確保できなくなったと逆に手を引かれてしまった。
そのパン工房は翌年、障碍者の宿泊施設と併設で八ヶ岳に移ったと聞く。
八ヶ岳SA

退職後30年で当時を知るものは少なく、盆休みの日曜日という事もあり、また訃報を受け取っても当人が動けない状況でもあるのだろう、私の知っている人は3人ほどしか来ていなかった。
あからさまに仕事の義理で、見たことも話したこともない先輩に頭を垂れる人が数人いたが、多くは福祉関係者だった。
残念なことに、娘さんと奥さんも通夜の席にはいなかった。来れない事情を推し量ると、残されたご長男の苦労が目に浮かんだ。
ささやかな祭壇は、常日頃から華美を嫌っていたSさんらしかった。
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不謹慎とは知りつつも、来れなかった人のために。(加工済み)

父や母と時代を共にする昭和の人がまた一人逝った。
私を信頼してくれた人だったのに、仕事以外でのもめごとが絶えなかった私を、身を挺して守ろうとしてくれたのも、フォローしてくれたのもSさんだった。
愚かな若造を見捨てずにいてくれたお陰で、真っ当な道を歩めているわけだ。

Sさんとは何度か職場の連中と一緒に小旅行した。
最初は私の最初の職場である八ヶ岳のリゾートだったと思う。翌年はハワイで不慮の事故にあった職員の墓参りで山形へ行った。そのうち、それが恒例行事になった。
昨夜は、そんな在りし日のSさんの笑顔を思い浮かべて供養していた。
ご冥福をお祈りする。

暁のワールドカップ、ベルギー戦、しっかりと見てしまった。5時頃ベッドにもぐりこんだが、家内や息子が出かけるとき無駄吠えリルの目覚ましで2度起こされる。おかげで午前中はボーっとしながらの銀行回り。
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むー、未だに悔しさ半分のベルギー戦。後半早い時間に2-0とリードしながらも、結果的に残り30分間で3点も取られた。
後半アディショナルタイム最後1分、1本のカウンターで夢はついえた。これがワールドランク3位の底力なのか。どうしても埋まらない”わずかな差”があると西野監督は語ったが、むしろ”わずかな差”までもっていったことに評価が下されるべきじゃないか。
後半怒涛の反撃にあって逆転を許したのは今回が初めてじゃない。2006年ドイツ大会のグループ予選1回戦でオーストラリア(当時はオセアニア代表)に空中戦を仕掛けられ15分で立て続けに3失点した。今大会にも出ていたケーヒルのヘディングは忘れられない。あの時ほど日本がいかに弱小国なのかを痛感したことはない。1-0とリードした後半、オーストラリアのパワープレーになすすべなく、攻めるのか守るか、ラインを上げるのか下げるかのさえ曖昧だった。チームもベンチも混乱していた。
中田や遠藤を擁し「最強世代」と言われ、日韓共同開催でベスト16入りしたその4年後のこと。
同じように今回もコンスタントに3点を取られてまた夢が潰えたが、あのころとは全く違う。
なによりもチーム全体が攻めに徹していた。ベンチを含めた全員が勝ち切れると信じていた。実際、ベルギーのディフェンスは日本の俊敏な動きについていけてなかった。一番苦しい時間によく走り切ったと思う。
空中戦に持ち込まれた末に失点し、決着をつけるべく前がかかりになった日本の虚を突いたあのカウンター、あれはもう仕方ない。誰が悪いのでもない。ベルギーを褒めるしかない。
予選リーグの最終戦でとんでもない他力本願作戦を実行したが、コロンビアに勝ちセネガルと分けた実力は12年前とはまったく異なる。
優勝候補筆頭のドイツ、強豪国のポルトガル、スペイン、アルゼンチン、皆姿を消した。イタリアなどは出場さえできなかった。
ワールドカップはそういう舞台だ。日本もその仲間入りをしたっていうことじゃないかな。


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梅雨明け後東京は9日間も真夏日が続いている。(横浜は7日間)しかも、連日の強風。台風さえ近づいている。
家庭事情でマリーナに行く機会も減ってきたが、今日はリルと夕方出かける。
勿論、その前には窓も開けない、エアコンもかけないでボア付きロングスリッパを履ている老人のワッチをしてるわけだが…

12m/sの南風では寝不足でなくても乗る気はしないし、今日はマリーナ定休日。
それでも、エンジンかけて点検し、マリーナ内をトコトコと海散歩。
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 風、強く無くない?

まあ、このくらい吹くと涼しいね。
こんな時に限ってエンジン絶好調。
だーれもいないマリーナの中を巡回する。(小学生の頃からの探偵癖が抜けてない)
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 いかにも強風という雲

なんでもいいから、海の上にいたい。ただそれだけ。
それでもブローを受けるとヒールするので、セイルも上げてないのにリルはバラスト態勢。
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 船長、誰も出てきやしませんぜ。

小1時間ほどマリーナの隅から隅まで機走し、バースへ戻ったが着岸に失敗。
唐突なブローで、フネは斜めに。こんな時は投げ縄の要領でポンツーンの船尾側クリートにシートを引っかけるが、これも失敗。
しょうがないのでバウから降りて、バウクリートを先にかけ、ポンツーンの船尾側クリートにシートを回し、そのままフネに乗ってそのシートを引っ張ることにしてる。
こうやってバタバタしながら乗ったり降りたりしてると、腰が痛くなるな。

やっと落ち着いて、エンジンを切る頃には汗が出る。冷や汗か?
で、いつも通りコックピットで一休み。この時間がまた好きだ。
が、いつもの何気ない風景にちょっとした変化が。
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 後ろ正面のフネが変わっていた。

新艇だ。ピカピカ輝いている。
前の船は「Dolphin」という船名だった。何人かのオジサンたちがたまにセーリングしていた。5月にみんなで宴会してたが…
船名を見るとギリシャ数字が書かれてあるから、同じ人たちのフネではないことがわかる。
あの人たち、フネを降りたんだあ。なんだかちょっと寂しいな。

今日は早く寝ようっと。



2017.5.23

日記がないと不便なことがある。
ブログは人に見てもらうのが本筋だが、私の場合は自身の絵日記、Memorandumだから、むしろ見てもらわない方がいい。
せいぜい友人達への近況報告、というか安否確認も兼ねる。
ここには、たまに気が向いたときに書くつもり。まあ、それほど時間がある訳じゃないしね。
なので、コメントは一切ご無用のこと。返答できないからなあ。

前ブログを閉じてからまだ二ヶ月にもなってない。
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相変わらず愚犬とヨットに乗っているが、毎週のように友人たちと会い、家族イベントの船底塗装を行い、ボランティアに勤しんでいる。
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まあ、変わり映えのない日々だ。
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勿論、整骨院通いもヤブ医者通いも変わりない。

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今日は5/20からの三日間で終えた船底塗装でグーの音も出ない。
明日はヤブ医者とボランティアがある。
これが普通の生活。

時々、忘れちゃいけないことを書いておくつもり。

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