D旗たなびく

忘却甚だしく、メモ代わりにちょっと書くだけ。 コメントは受け付けていません。

カテゴリ: 友達

2017.8.11 曇り後雨 25℃

涼しいを通り越して少し肌寒いほどの朝だった。
8日夜に過ぎ去った台風5号の影響はなかったけれど、ここのところ曇天が続いている。
まあ、その分暑くなくていいのだけれどいつ雨になるか分からないから、せいぜいリルと散歩くらいしかしていない。
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リルは台風やその後の猛暑日で、なかなか外に出られなかったからちょいとご機嫌がよろしい。

今日はやっと全自動洗濯機が届いて、水浸し洗濯も明日から解消だ。
設置業者が言うには、やはり排水の詰まりと排水管エルボーの付設が問題だと言っていた。
こっちもエルボーかよ。
今回は台湾企業に身売りしたシャープの製品だが、私はこのメーカーが好きだ。なんとか再建してほしい。

昨日は友人タカハシと久しぶりに飲んだ。といっても、酒量制限がある私と飲んでもタカハシは面白くないだろうな。でもクジラやフグで久保田が飲めるなら私はたいへん満足なのである。
それに、月に一度は乗ると決めた電車もこれでクリア。
pikatyu

今でこそ年に数回しか行かなくなってしまったが、行きつけだった野毛の割烹料理店の”お母さん”は私の顔を見るや、
「もう飲めるようになりましたか?」と声をかけてくれる。
少しやせたようだとも言われた。
せっかくの美味しい料理と酒を前にして、私はタカハシにスマホのアプリをインストールさせたりしていた。
よく電話をくれるタカハシだが、ついつい長電話になってしまうから、SNSを使った無料電話の使い方を教えていた。

二軒目は日本語教室の生徒だった中国人才君がバイトをしてる焼き鳥屋に行く。
そこで働くバイトのほとんどが外国人で、皆日本語学校に通っていた。
才君は7月のN-2(日本語能力試験2級)に合格し、これで留学資格を得たことになる。表情も明るかった。
二軒目でそれほど飲食はできなかったが、私のために20%の割引をしてくれた店長は本当に気さくな優しい人だった。彼の事をよろしくと帰り際にお願いする。
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もう午後10時なろうとしており、土浦まで帰るタカハシを心配して桜木町ですんなり別れる。

今日「山の日」は家族が皆家にいたのでリルは交互に散歩させられて満足気だった。
洗濯機の配送の人にはギャンギャン吠えまくっていたが…
このくらい涼しければキャンプは要らないんだけどなあ。
tyhoonsoon

夜、早速にタカハシがSNSで電話をかけてきた。
ちゃんと覚えたんだな。
  

2017.7.25

学友ノブシロが亡くなって早や10年。天涯孤独の彼だから、地元の人も次第に忘れてしまうかもしれない。
今年もまた友に近況を報告し、墓前で語らい、若き日の事を思い浮かべる。
家を出、車で4時間ほど走ると小名浜に到着する。
首都高の渋滞に巻き込まれたくないので、できるだけ日曜の早朝に出発する。
かつてのように福島日帰りは体力的に厳しくなっているので、帰路は茨城に泊まることにしている。
行きも帰りも彼の事を思い出しながら、この二日間だけは幻聴にも似た彼の声を聞いている。こんな時は不思議に記憶が蘇ってくるものだ。
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車の中ではカーステレオなども聞かないし、リルもいないので一見黙々と運転しているように見えるかもしれないが、私は彼の問いかけに独り言ちをしている。
「そうだなあ、また暑いなあ」とか「うん、アイスクリームがいいな」などとブツブツ言ってる。
だから宿泊場所の水戸に着くまで秋田の大雨被害も、先月行った新潟の洪水も全く知らなかった。
うっかりすれば小名浜もゲリラ豪雨に晒されていたかもしれないというのに。

簡単な墓掃除をし、花をそえ、線香をあげる。
囲み石の縁に腰かけて、少し会話する。
「ああ、いつか来れなくなったら勘弁してくれよな。俺も老いたからな」
などと言いながら、ヘビースモーカーだった彼に火のついたタバコを差し出す。
「来年は線香代わりに両切りタバコにするか?」

そんなどうでもいい話をしてそっと別れを告げ、踵を返す頃に雨が降り出した。
「ありがとな」
そんな雨に思えた。

だいたい墓参が終わると昼時だ。小名浜は茨城に近いが少しでもお金を落としていくために小名浜漁港に行って食事し、土産を買うことにしてる。
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物見遊山の旅行ではないから、食事と買い物が済むとすぐさま引き返す。たまに彼の住んでいた家や二人でたどった思い出の場所に行くこともあるが、だいたい用事を済ませて帰路につく。だから、小名浜にいるのはせいぜい2時間ほど。

昼食を食べると外の暑さもあって眠くもなる。普段睡眠不足だから目も疲れてくる。
それに、何と言っても後ろ髪をひかれるような寂しさが残る。
例年だとタカハシがいる土浦泊りだが、今年は水戸に宿をとる。
いやあ、水戸で正解だった。ホテルにはちょうど3時頃に着いたのでひと眠り。
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   水戸駅前

水戸は2年前にも小学校の友人宅(笠間だが)を尋ねたりしてるし、仕事で来たこともある。
私の従兄もいて、小さい頃にはよく家族で出かけたりしてたから馴染み深い。
駅で待ち合わせた友人と水戸の繁華街をうろうろ歩く。
一日中車に乗っていたから、歩くのが楽しい。腰の痛みもどこ吹く風でタラタラと歩き回る。
幸いに曇っていたし、夜風が涼しいから、久しぶりに会う友人ととりとめのない話をしながらそぞろ歩き。
途中、町内会館で祭囃子のお稽古をしていた子供たちの演奏を見た。
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こうやって、親から子へと受け継がれていく音曲っていうのは、横浜にはほとんどない。
なんだかちょっとうらやましい。教育は学校のみにあらずってとこだな。

今月の一杯は水戸の居酒屋。久しぶりにビールで乾杯だ。
お互い定年の身だけに、安居酒屋が身の丈に合っている。
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ノブシロがよく作ってくれたメヒカリの天ぷらを懐かしんで食べる。
明日も仕事があるという友人とは2時間ほどご馳走してもらって店を出る。腹いっぱいだった。

ホテルの朝食を済ませて、高速に乗るまでの途中、久しぶりに千波湖による。
深夜大雨が降ったらしく、そこかしこと濡れていたが、雨男の私なのに一度も傘をささなかった。
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母が懐かしがるだろうと亀印の水戸の梅を買って帰途に就く。
首都高もそれほど混まずに昼頃ベイブリッジをわたる。

リルは5年も会ってなかったように大喜び。
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  おみやげ頂戴。

今日は整骨院だよなあ。

2017.7.22

伊豆大島に短期の非常勤として赴任なさっていたハラ先生が勤めを終えてご帰宅なさった。
早々にお土産をいただく。
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添えられていたお手紙には、大島の楽しい生活や海洋高校の生徒のこと、教職員の素晴らしいことなどがしたためられていた。(管理職は除く)
たった一月とはいえ島暮らしは不便なものだ。都会で暮らしているとそういう不便さが当たり前なのだということを忘れがちだ。愚息なんかコンビニがない生活など考えられないだろう。
馴れない土地での一人暮らし、さぞお疲れになっただろうと思いきや、先生は若い息吹に触れて生き返ったと仰って、とても明るく元気そうなのでこちらがびっくりしたほどだ。
ご主人も職員寮に入った先生のために4,5回ほど訪れて食料運搬をしていたらしい。
電話では本当に素晴らしい生徒たちに囲まれて幸せだったということ、教職員がとても温かい人たちだったということ、また生徒にも慕われボランティアで大学受験対策などもしていたことなどを聞いた。
まったく、いつもながらにそのバイタリティには敬服するばかり。
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桧原湖キャンプは来月、予定通り。
「いつでも空いてっから」とやっと電話が通じたご主人がいう。

「他のお客さんからも予約の電話が入ってるんじゃないの?」
「んだ。入ってたみてえだけんじょ、いねえ時に電話されてもなあ。ハハハ。まあ、あんまりやる気ねからな」
ほんとに商売気がない。だからいつもガラガラなんだよ。

今日アダチ君から電話が入り、休みを取ったからキャンプ場で一泊できるとのこと。
彼は前日まで奥方の実家、新潟へ行っているらしい。戻ってきて翌日キャンプも可哀そうだが。
「ゆっくり話したいね」
そう旧い友達は言うのだった。
また星でも見ながら語り合おう。
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明後日、ヨット部時代の亡き友の墓参りに行く。毎年恒例の墓参だ。今年はなんだか雨になりそうだ。
帰りがけはだいたい友人タカハシの住む土浦に1泊して盃を交わすが、いつもだいたい祭の日に当たり、タカハシはその役員をしているので、途中でこっそり抜け出してくるという肩身の狭い思いをさせている。
まあ、命日がその辺なのでしょうがない。だから今年は忖度して、水戸の友人と再会することにした。
今日タカハシからの電話で、祭がいつもより一週後だと聞かされる。要は例年7月最終週に行われるらしい。
なんだ、そんなの知らんぞ。
それじゃあ、また別の日に飲もうということになった。

後輩エンドウは相変わらず仕事の愚痴ばかりだが、要は段取りが悪いわけだ。いつもてんてこ舞いになってる。
アイツが喜ぶ話と言えば、自分より幸薄い者たちの話で、そんな時はイキイキ話している。
他人との比較でしか成り立たない生活なんだなあ。
また突然訪問して喝を入れてやるか。
35年もののアイツの新車(超中古スカイライン)はまた壊れ、唯一直せる部品のある岐阜の自動車屋へ近々行くらしい。この3月に買ったばかりだが、ほとんど岐阜との往復以外に走ってないような気がする。
壊れては岐阜に行くだけの車。面白いのか?まあ、バイクもしょっちゅう壊れてるしな。
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リルは連日の暑さでお疲れ気味。
朝の散歩も6時半と8時になった。朝飯前と朝飯後だ。
日陰者となって、タラタラ歩く。こっちの方が余計暑い。
8時半を回ると、もう帰ろうよ~という顔をする。が、食欲だけはある。
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家内が今日から3日間仕事でいないので、家事が全部回ってきた。
専業主夫になっているわけだ。
「夕飯に間に合わない奴の食事は作らん」とか言うと、いつもやたら遅い愚息が夕飯時に帰ってきた。
なんだ帰れるんじゃないの。
買い物でスーパーに行った時が一日で一番涼しいな。寒いくらいだ。スーパーのバイトでもやるか?

って、おーい、みんな少しはハラ先生を見習おうな。
私を含めて、自ら欲して行くというよりも、われらの場合、島流しだな。

2017.6.22

シリンダーヘッド等の交換修理代金を支払いにマリーナの海王さんの所に行く。
長距離運転と昨夜のボランティアで、さすがに疲れを感じていたから、端からヨットに乗ろうなどとは思ってない。
でも、せっかくここまで来て何もしないのも時間の無駄だからと、海王さんにオイルとオイルエレメントを揃えてもらった。ついでにオイルチェンジャーも借りる。
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最後にオイル交換してからまだ半年も経っていないが、シリンダーヘッドも新しくしたし、これから猛暑の夏になるとオイルの劣化が著しいので、ここはすっぱりあたらしくしよう。

オイル交換自身はそんなに難しくないのだが、一緒に替えるオイルエレメントの着脱でいつも失敗してはオイルまみれになっている。
今日は万全を期し、あえて白いズボンなどはいて挑戦。自分の習熟度を計る。

さあ、始めようかと乗り込んだところで、
「アホイ!」と声をかけられる。このYBMでそう声をかけてくるのは二人しかしない。
隣のポンツーンを歩いていたのは”教授”だった。
彼の自作ディンギー「ナンシー号」の進水式以来だから、三週間ぶり。ただ、なにかバタバタとしていたからそれがずいぶん前の事のように感じる。
Beachboys号の船長も一緒だ。
今日は船検の中間検査で来たという。二人して御来訪してくれたのでリルは大喜び。
自作の本棚が見たいという教授に図工2の神髄を見てもらう。
しばらくお話をしてから、これから二人で食事するというので、教授にマックの出前をお願いする。

で、早速にオイル交換。
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エンジンを10分ほど動かしてから、30分待ってチェンジャーに古いオイルを吸い取らせる。
新しいオイルをギヤに0.2リットル、エンジンに1.3リットル。まあ、だいたいこんなもんだ。実際の容量はもう少し多いのだが、古いオイルがどうしても残るからこの程度でとどめておき、後はゲージを見て少し足したりする。

次に問題のエレメント。真横に付いてるから、オイルレンチで緩めた後、クルクル回してスポッと外すと中の真っ黒なオイルがごぼっとこぼれる。最後の一回しの時にウェスをあてがって、上向き加減で抜き取ると被害が少ない。で、即ビニール袋に入れる。
結局はどうやっても多少こぼれるけどね。
今回はまあまあ。
被害は最小限に、そして服も汚さずに済んだ。まあ、手の方はベタベタになるけど…
新しいエレメントは装着時パッキン部分にオイルを塗る。
この作業はどうあっても写真は撮れないなあ。そういう余裕はないね。
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  ちゃんと見張ってるんだよ。

今日は湿度が高くて、キャビンは低温サウナ状態。こぼれたオイルよりも流した汗の方が多かったんじゃなかろうか?
全て終了させて、エンジンを回してみると、そりゃあもう実に軽快な音。イイネ!

エンジンルーム下をウェスで拭いていたら、丁度教授がマックを持ってご帰還。
油まみれの手をぬぐって、コクピットで食べる。オイル味のフレンチフライもなかなかおつなもの、でもないか…
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 クン、クン。これもいい匂いするよ。

Beachboys3人組は今夜船上パーティーになったらしく、教授も夕刻まで時間を持て余しているご様子なので、本当なら一緒に帆走でもしたかったのだけれど、完全にベタ凪。
私もしとど汗をかいて、余計疲れたからしばらくコクピットでおしゃべり。

オイル交換はこれで終わらない。
チェンジャーに溜まった古いオイルをヤードの廃油庫に捨てなければならない。劣化した硬いオイルだとこれに結構時間を取られる。
今回はまだ新しめのオイルだったので、割とサラッと捨てられた。

教授とポンツーンを散歩して気になるフネを見学。
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また、フネに戻って、教授差し入れのチョコ入りスコーンでおやつ。
リルもしっかりお余り頂戴し、ご機嫌だった。
今日は教授とたくさんお話ししましたあ。

明日こそグータラパパするぞ!



2017.6.20
6/18から1泊で今年で23回忌となる友人の墓参りに行ってきた。
オタマ”の亭主だった彼とはたまたま大学の同期だったが、在学中は海かバイトかという生活で家にもあまり帰ったことがない私は、当然学部も違う彼とは会ったことがなく、卒業して10年後に職場で知り合う。
知り合った時には肝炎で長期療養しており、職場復帰して間もない頃だった。
いつもニコニコ笑っている彼と濃密な友人関係を築けたのは、彼の満ち溢れる好奇心のたまものだ。
今にして思えば、あの30代前半の時期は友人関係の大きな絆を手繰ったような季節だった。
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彼の女房の”オタマ”や一子コータローが深く関わってきた。
ヨット部の亡き同期ノブシロやアダチ君ともつながっていった。
私の結婚式の司会も彼が一役買ってくれたし、アダチ君の結婚式にも彼は一家三人で福島まで出かけていった。
桧原湖の帰りにはみんなでワイワイ押しかけて亡きノブシロの家に泊まったりもした。
知り合ってから家族同士の濃密な時間を過ごしたにも拘わらず、その後わずか8年という歳月で彼は天に召された。
なので、愚息もアダチ君の息子も彼を知らない。
あれから、22年が経った。

彼の墓は新潟県見附市にある。
恥ずかしながら、一度も墓参したことがなかった。3回忌、7回忌等々節目の年にはオタマを家を訪ねて位牌に頭を垂れても、命日である1月は雪深く、見附に分け入ることができなかった。
こんな時季外れに訪れるのも気が引けたが、せめて自分が動けるうちに一度は墓参しておきたかったのだ。
彼がどんな場所に生まれ、どんな風景の中で育ち、どんな少年時代を過ごしてきたのかを垣間見たかった。
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       まだ残されていた彼の生家。

相変わらずの弾丸墓参でせわしないが、私は持病で新幹線には乗れない。
「国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国であった」という川端康成の『雪国』を出かける前に読み直す。
半世紀前の見附はむしろ『雪国』の方がその雰囲気に近いだろう、そう思ったのである。
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       信越本線見附駅

が、見附だけは時計の振り子がゆっくり動いていたのかもしれない。(見附にお住いの方、申し訳ありません)
古いシャッター商店街、平面的な街並み。
友人の家もそうだが、100年以上も前に建てられた家が解体もされずにたくさん残っている。

見附市は繊維の町として知られていた。友人の父も祖父もニットを中心にした繊維工場を経営していた。
今でこそアパレル業界などと言うが、当時の繊維産業は戦後復興期、経済成長期の主要輸出品目だった。今の自動車産業と同じような基幹産業だったと言っていい。当然経済摩擦が引きおこる。
1971年の日米繊維交渉を皮切りに、ニクソンショック、引き続くスミソニアン協定と、輸出制限から始まった日本バッシングは1ドル360円から一気に308円まで引きあがり、輸出産業とりわけ繊維産業に大打撃を与えて見附は沈んでしまった。友人の父親の会社も倒産。彼は二束三文の株券を握らされて大学に入った。
本来であれば彼は大学を出たのち、4代目として家業を継ぐはずだった。それが、むしろ口減らしのような恰好で東京にやってくる。
深く聞いたことはないが、その父親も在学中に亡くなった。 
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       見附の町

バイトをしながらなんとか大学を卒業したころ、病魔がジワリと忍び寄る。B型肝炎。
天国と地獄の狭間を歩きながらも、彼はいつも笑顔だった。決して過去を振り返らず前だけを向き、楽しいことを積極的に受け入れた。
彼を支えたオタマの存在が大きい。
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    飲めなかった酒と、大好きだったタバコを供する。

彼はいつも私を家に呼んだ。なので、彼と付き合うのはオタマやコータローとも親しくなることを意味した。
私と彼が同じ職場にいたのはたった4年。最初に会ったのは当の本人ではなく、職場に病状報告に来たオタマの方だ。
こんな話をしてると、三日ぐらいかかりそうだから、また折を見て続けよう。


なにしろ初めての場所で、地図の読めないオタマの説明だから、ちゃんと行きつけるのか不安だった。
寺は分かっても墓の場所が定かでない。
当日はオタマに家にいろと言い、これだという墓や生家を見つけては写メを送る。その挙句に電話。
まあ、とにかく墓や生家は分かった。通っていた小学校や中学校は今はもうない。
墓の場所を確かめてから供花や線香を買いに出る。
が、これが全然見当たらない。
コンビニに2軒入って花屋を聞くもバイトの兄ちゃんたちは全く知らず、たまたま声をかけてくれた若い奥さんに教えてもらった花屋は休み。
寺の参詣客にも、掃除してる寺男に聞いてもなしのつぶて。
「スーパーでも行けばあるじゃろね。あ、あのスーパー、先月つぶれたわ」
ってな具合で、花屋探しで小1時間。隣の三条市まで行ってしまった。
仏具、石仏、セレモニーホールなどはたくさんあるのに花屋がない。
結局、たまたま目に入った国道沿いのコメリに入って花と線香を買う。

彼と独り言の会話をし、一緒にタバコを吸い、彼の育った町を遠望する。
隣市、長岡のベッドタウンになりつつある見附市だが、ところどころに曲輪の痕跡が残る街道や、雁木の名残を引きづった家屋を見ていると、彼がなぜあの時期に東京の大学に出たのかが薄っすらと分かるような気がする。
そう言えば、あの頃の首相は地元新潟の田中角栄だった。
「日本列島改造論」の陰で外圧に屈して地元に犠牲を強いたわけか。

花屋を見つけるのに苦労した挙句、昼食が遅くなった。見ればすでに2時近く。
ところが、今度は飲食店がない!たまに見つけるラーメン屋も「本日休業」。
おいおい、今日は日曜だぞ。
食い物屋を捜してるうちに長岡に入ったが、よほど外食とは縁遠いのか、たまに見つけるファミレスも長蛇の列。
ラーメンの「幸楽えん」に人が20人くらい並んでいるのを始めて見た。
やっと昼食にありついたのは長岡インター近くの中華屋。油淋鶏を頼んだが、これが実にまずい。素材だけくれれば私が調理したいくらいだった。こりゃ、空いてるわな。
この辺はコシヒカリの米所。この辺の人は米がうまいから外ではあまり食べないんだなあ、きっと。
そのままインターに乗って、湯沢まで行く。(関越トンネルを抜けたら闇夜になる)
当然素泊まり。でも、皆さんが宴会場で盛り上がっている間、50人は入れそうな温泉浴場を独占できた。

温泉街で割烹料理店に入り、イカの煮物や岩ガキなどを食らって久保田を1合。しめに新潟名物へぎ蕎麦を食う頃には、さすがに疲れたか、ぐるぐる回ってホテルに着くのが精一杯の千鳥足。
彼の事を反芻する間もなくバタンギュー。
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なんだスキー場の隣じゃないの。

たっぷり寝た甲斐あって、朝は高原の風に吹かれて一段と清々しく、こんな所ならリルを連れてくればよかった、などと考えていたら、留守番のリルが妙に心配になって寄り道せずに一直線に帰宅。

で、今日は朝からヤブ医者と整骨院。
なぜか血圧が正常値になっており、これも一つのご利益か?
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   いい子でお留守番してたよ~

明日は歯医者とボランティア。
これから生徒さんがさっきメールで送ってきた作文の添削だあ。



         



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