D旗たなびく

忘却甚だしく、メモ代わりにちょっと書くだけ。 コメントは受け付けていません。

カテゴリ: 友達

新しいワーキングチェアが届いて数日経つ。ほとんど仕事になっているボランティアの準備で毎日8時間ほどデスクワークを強いられるが、腰の怠さが軽減されたように感じる。
週に一度の接骨院通いも功を奏している。このまま健やかに育ちたいね。

午前中は相変わらずのデスクワーク。とにかくサポーター二人が休む今度の水曜日を新人二人と切り抜けねばならない。
だが、昼ご飯を食べ一服しながら青空を見上げていたら、急にアホらしくなった。
こんなことはことは夜やればいい。せっかく晴れてる日曜なのに、この缶詰状態では何のために仕事を辞めたのか分からん。これじゃあ我が家の独房囚人と変わりないな。
リルもつまらなそうにしてるから、マリーナにでも行こう。そう思い立ったが、今日はやたらと暑いうえに風も強い。
しばし待機して15時頃、高校時代の友人谷公に電話。
「そのなんだ、マリーナで夕涼みしよう」
「いいね」
お互い30分でマリーナには着ける。一応集合を16時とした。
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 また来たよ。

日曜ともあってそれなりに人はいたが、アウトレットは閉店しているので道が混まない。
谷公もほとんど同時くらいにマリーナに着いた。
それにしても他に行くところが無いのかっていうくらい、いつもマリーナだよなあ。それにさ、酒が飲めるわけでもないし、美味いものが食えるわけでもなく、谷公もよくひょいと来るよなあ。やっぱりハマッ子なんだなあ。
とにかくフネへ行く。なんとかの秘密基地だなあ。
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 ビッケ頂戴。

16時を過ぎると、海辺は涼しい。少なくとも汗をかかないで済む。
気心の知れた仲というだけではない。お互い年老いた認知症の親を持つ身だけに、日ごろ溜まったうっ憤を吐き出せる。
コクピット会談はいつも介護の現状から始まるわけだ。
谷公のお母さんは認知度に関しては、私の母親よりいつも一歩先に進んでいるからとても参考になる。
経済面のことや、遺産の話などもできるから、胸のつかえが少し取れる。
勿論、この手の話をするためだけに来てるわけではない。
奥さんの了解を得て、Bバースに置けるボート探しをしている谷公だから、いろいろ情報交換もする。
「両親のどちらかが倒れたら、フネを降りざるを得ないな」
「フネを降りて、生きてけるんか?」
「むー。その時はオマエのフネのクルー登録にしてくれよ。YBMでは2名までクルー登録できるからさ。動かさなくても、ここでこうやってコクピットにいるだけでいいよ」
「そうだな。別に、乗りたかったら勝手に乗っていいぞ」
最後はそんな紳士協定を結んだ。海への道は続けられそうだ。
老後は谷公と一緒に釣りでもするかあ。
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 おフネは気持ちいいよね。

お互い夕飯には間に合うよう18時前に分かれる。
本日のコクピット会談はこれにて終了。

夕飯を食べて一息ついていると、ボランティアの新人から電話。
「送ってもらった添付資料ですけど、閲覧はできるんですがプリントアウトできません!」
って、結局当日に人数分を揃えて持っていくことに。
さて、もう一人の新人の資料つくりでもするかあ。

2018.9.9









八ヶ岳は一度住民票を移した場所である。
結婚するまでは、何かの手続きのために住民票を役所に出してもらうたびに、「山梨県○○町▽△より転入」と書かれてあった。第3の故郷である。
ターホーが退職して甲府に移り住んだというハガキをもらって以来、甲府や八ヶ岳に行きたいと思っていた。夏休みで留置されている愚息にリルの面倒を見てもらうことが可能になったので、2泊3日の一人旅。なんとか8月に出かけられる。
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初日はお日柄もよく、鼻歌交じりで解放気分。
が、中央高速が事故で簡易工事の大渋滞。そこで東海道を走って河口湖まわりにルート変更。
先月家族旅行した時は大雨で、ほとんどその雄姿を見られなかった富士山も、きれいに見ることができた。
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別に観光地を回るわけじゃなし、どこかでリルを遊ばせることもない。何時にどこへという指定も計画もないから、むしろ旅程を楽しむ。
高速を走ったり、一般道や懐かしい林道をフラフラ走りながらも、昼前には清里に到着。
標高1500mだと下界とは比べ物にならない涼しさ。なんと24℃。高原を渡る風が清々しい。
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こうなるとリルを連れてこなかったことが悔やまれるが、今回は友人と会うのが目的。
少なくとも私自身のご褒美だからね。

八ヶ岳は友人タカハシと縦走したことがある。いつだったか忘れたが若い頃だ。
天女山から入り、権現岳、赤岳、横岳とテント背負って登った。
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 主峰赤岳

赤岳山頂からの眺めは目に焼き付いていている。奥穂高岳のある北ア連峰、御岳や駒ケ岳の中央アルプス、甲斐駒ヶ岳の南ア連峰に富士、奥秩父の連山など360度の大パノラマだった。富士山を除き皆登ったことがある懐かしい山々だ。
権現の鉄はしごや鎖場など足がすくむような難所、赤岳の肩でテント張ったなあなどと見上げていると、若き日の活力が湧き起こるような錯覚に陥る。
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 甲武信ケ岳

八ヶ岳で働いてからと言うもの、海賊稼業はあきらめ山賊を目指そうかと思ったことさえある。
あのまま八ヶ岳でターホーたちと働いていたら、今頃はどこかの山小屋の親父になっていたかもしれない。

冷房の要らない清里で食事をし、清泉寮でソフトクリームを嘗めながら、語りつくせぬ思い出を掘り返していたら、急に亡き同僚と住んでいた民家の近くに行きたくなった。
あれから40年、その時でさえ廃屋同然の古家だったから、とっくにないだろうと思っていたが、なんとかその形をとどめる程度には存在していたのでびっくりした。
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貸主の母屋はきれいに改築され、桑畑はなくなっていたが、恐ろしく寒い冬を二人で過ごした廃屋は朽ちるままになっていた。挨拶の一つもしようかと思ったが、その当時の大家が生きているはずもなく、当時幼稚園に通っていた男の子が主になっているのだろうと思ってやめた。覚えているはずもない。
でも、山河はあの時の風景だ。
300mほど離れた溜池のようなみどり湖には当時のターホーが間借りしていた民家があったが、そちらも同様に改築されていた。
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 みどり湖。干上がっていた。

在職中、タカハシが監督をしていた少年野球チームが合宿し、練習していたグランドも見に行った。
当時は新設の複合型体育施設だったが、40年経ってもなにも変わってない。というか、全然使われてない。
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その日はかつての職場に泊まる。
勿論当時新入社員だった私を覚えているスタッフなどいるわけもなく、シーズン中はバイトだけでも200人近く雇うので、むしろ私はマネージャーのような感覚で彼らの仕事ぶりを見ていた。

翌日は朝から小雨が降り始め、やっぱりリルを連れてこなくてよかったと思ったが、朝方の10℃台の快適さは分けてやりたいと思った。
白樺湖まで足を延ばすと本格的な雨になってきたので、諏訪湖へ出る。
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外国航路の船員だった伯父が生前住んでいたところで、私が八ヶ岳で働いているのを知ってわざわざ会いに来てくれたことがあった。
母方の系譜は代々、諏訪神社の神官で、松本の末社を預かっていたので、ことさら諏訪神社に対しては幼い頃より植え付けられた畏敬の念がある。
ここまで来て詣でなければ罰が当たるな。

諏訪神社は古事記によると大国主命の次男が「国譲り」に反対し、相撲で可否を勝負したが負けたために諏訪の地に飛ばされたとある。なんとなく情けない由緒なのである。
出雲大社にも土俵があるが、諏訪大社にも立派なものがある。
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 下社秋宮

全国に末社を持つ諏訪神社だが、正式には諏訪大社といい、諏訪大社は四つに分かれて点在する。
上社本宮、上社前宮、下社春宮、下社秋宮の四社で、前宮にあっては行政区画上茅野市に属している。
それぞれ時代に翻弄された経緯がうかがえる。
なので諏訪大社に詣でるというのは最低この四社に行くことを意味するが、それほど暇はない。
秋宮と本宮で勘弁してもらう。
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 上社本宮。

諏訪神社と言えば、7年ごとに行われる御柱祭り。怪我人続出の上死人さえ出たりする。
この祭り、地元出身の者しか参加できない。松本で生まれて戦後焼け出されて引っ越してきた伯父には、諏訪神社の神官の子でありながら、その御柱祭りの参加資格がなかった。従弟にあたる伯父の子は歴とした諏訪人なので、御柱に参加できる資格を持っていたが、あんな恐ろしい祭りに参加したくないと信州大学へ逃れ、茅野市の某電子機器メーカーに就職し、そののち京都に移り住んだ。
で、最近は少子化もあって参加資格を見直そうという機運があるらしい。

雨が降ったりやんだりする中、甲府に至りホテルにチェックイン後ターホーと会う。
彼の住まいから1ブロック離れたホテルで待っていたが、そのホテルさえまだ知らないオッサンはフラフラと通りの向こう側を行きすぎようとしていた。どうも私の友人たちは方向音痴が多い。
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 おーい、ターホー!

その日、彼の住むマンションの周囲半径100mほどの場所でコーヒー店、居酒屋、ラーメン屋と回り8時間以上も語らった。
医師の指示に従い、私はその間にビールをジョッキ半分、下戸のターホーは一滴のアルコールも飲まず、話通しだったが、昔話をしたのは5分ほどだ。
7月に退職したターホーはこれからの第二の人生をどう生きていくかを。私はとても多忙な日々の話をしていた。
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 ターホーのマンション。

居酒屋を出てホテルに帰り、フロント前で「また来るよ」などと言っていたら、彼は急に腹が減ったなどと言いだし、仕方なく近くのラーメン屋に入る。ラーメン一杯で2時間近く店の一角を占拠し、酔っぱらいの大声に負けじと声を大にして会話。終わりごろ彼の奥さんから携帯電話の呼び出し。
とっくに午前0時を回っていたから、心配したんだろう。店がうるさいからその電話で話す彼の声まで大きい。みんな聞こえる。
ああ、我が友人には恐妻家が多いんだよな。ラーメン食べたいと言ったのはターホーなんだけどなあ。私はいつも奥方連中に評判が悪い。

翌朝は飯も食わずにホテルを出て、途中勝沼のブドウ園による。40年前からこちらに来ると必ず寄るブドウ園だ。威勢の良かったおばちゃんも今では90のお婆さんだが、それでもブドウ園で働いている。
「役に立ちゃしないんだけんど、動けるうちは働かせてもろうてるんでねー」
私のような浮草者には耳が痛い。
お土産のブドウを買って、リルが待つ家路を急ぐ。
途中実家に寄ってブドウなどのお土産を渡したが、昼前には家に帰って、ゴロゴロしてる巌窟王にブドウを食わせてやった。
リル!寂しかったなあ。お前も食べな。
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 おかえり~ で、すぐ散歩!

相変わらず、食う寝る遊ぶのリルでしたあ。ブドウ園で働け!




今日も残暑どころか、猛暑日となった。
あまり使わない自室のエアコンだが、こんな週末は使わざるを得ない。
が、全然冷気が出てこない。
買い替えて3年だから、そんなバカなことがあるかと室外機を点検すると、先日の台風と大雨で落ち葉がくっつき薄汚れていた。
先ほどまで(昼下がりの一番暑い時間にだ)室外機の洗浄とフィルター清掃。汗だくになって、のぼせ気味。これじゃあなんのためのエアコンか分からん。
まあ、ちゃんと復活したけどね。でも、もうなんにもやる気がせん!
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 外の方が涼しいよ。

那須の合宿から戻った愚息は、実家に土産を持って母の薬を届けに行った。(なんでうちにお土産ないのよ)愚息の報告によると、エアコンを点けておらず、私が買っていった冷風扇には水すら入っておらず、家内が買って取り付けたばかりの三本のすだれは風で舞い上がって外れていたとのこと。
だいたい、エアコン点けても母が窓を開けるから意味ないんだけどね。
お中元で送った野菜ジュースは常に冷凍庫にあって、1時間ほどしないと飲めない。だから愚息に自販機で缶コーヒーでも買って行けと言ったが、その小さな缶コーヒーは愚息がすだれを直してる間に母に飲まれた。
まあ、いつもこんな感じ。

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軽微な損傷で済んだJollyhot だが、バックヤードが混んでいて上架は9月上旬になると言う。オイオイ。
台風だの大雨だのが続いていて、ヤードの作業が遅れているらしい。
これだけ暑いと乗る気にもなれないが、涼しい日があったら夕涼みでもしよう。まったく、ろくでもない夏だな。

こんな中、アダチ君から手紙が届く。
亡きお姉さんの足跡を辿りに広島へ行ってきたらしく、相変わらず写真ばかりの手紙だった。
広島平和記念資料館には平山郁夫のタイル画が展示されているが、そのタイルのワンピース毎に募金者の名前が入っていて、アダチ君のお姉さんは彼の名前で募金したという。
そのタイル画を見に家族で広島に出かけたのだった。
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アダチ君のお姉さんは、とても友好的な土人で、いつもバカなことばかりやっていた我々の唯一の理解者だった。彼女自身、とても活動的でガンに侵されながらも海外旅行していたような女性だ。
若くして亡くなったが、私たちが三十路を越えても、”いたずら小僧たちの冒険”にいつもキラキラしたまなざしを送ってくれた。ナンシーのDNAを持った人だったとつくづく思う。
私にとっても彼女は別格の存在だった。
「なんで君の名前だったんだろうね」
「バトンだったのかもしれない」
アダチ君も彼のお姉さんも、平和主義者だ。とりわけ原水爆に関してははっきりとした信条をもっている。
我々が小さい頃は冷戦時代で米ソがこぞって原水爆実験をしていた。原爆を落とされた広島、長崎はもちろん、横浜にもまだ戦争の爪痕が所々に残っており、日米安保反対のデモが大きな学生運動に発展していった時代だ。
多感な女学生だったお姉さんは、そんな暗い時代をしっかりと見つめていたのだろう。
平和で明るく、楽しく人生を生きることが彼女の矜持だったのかもしれない。
愚かないたずら小僧で、いつも先生や親に叱られていた私たちを、いつもニコニコしながら興味深く見守っていたお姉さんには、それが”平和で楽しい日常”に見えていたのかもしれない。
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そういう偉大なる姉の供養を兼ねての広島行きだった。
それにしても、家族三人で広島1泊っていうのはもったいない気がする。新幹線に乗りたかったのか?
家族の日程を合わせるのは難しいよなあ。

この夏は台風で桧原湖キャンプもできなかったから、アダチ君とも会えずじまい。
1年に1度しか会えあなくなった同盟者と、そんな話をランプの灯の中ですることもできなかった。
8月にどこにも行かなかったのは、仕事に追われた10年前以来。
実家のことが心配だけど、息子も帰ってきたことだし、ボランティアはまだ夏休みだし、ターホーのところでも行くかな。
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 そういえばリルも行ってなかったなあ。



体温より高い気温が続いている。横浜よりずっと気温が低い台湾の子たちがメールでリルを心配してくれているが、さすがにこう暑いとリルだって面白くない。
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 もうお日様沈んだし。

昨夜も風呂から上がって涼んでいると、脱藩者からメールが入った。
「終電逃したから、横浜から歩いてる」
って、もう1時半近い。外はまだ28℃あるし、歩いて帰れば3時過ぎる。
ええい、災いの元凶とはあいつのことだ!
何を血迷ったか浅間町から保土ヶ谷駅の方に歩いてると言う。我が家からだと丘を二つ越えなくてはならないし、Uターンできる場所がない。また面倒なところを歩いてきたもんだ。
パジャマ姿で車を出す。こんな日に限って道路の夜間工事。
保土ヶ谷駅についても囚人の姿はない。電話すると駅の反対側にいると言う。アホ!
結局家に着いたのは2時半頃。眠そうにリルも起きてきた。だから、主従ともども寝不足。
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家に着いたからって即寝られるわけもなく、運転といら立ちで交感神経が活発化してしまった。
真夜中の逃亡者はそれから風呂に入り、今朝は9時過ぎに出て行った。私の不眠と生活破壊の要因は、あのデストロイヤー以外の何者でもない。
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眠気と怠さと暑さでボーっとしながらも、ゴロゴロ寝ていられるほど暇ではない。
無線使用料の払い込みだの、どうでもいい周年行事の欠席はがきだの、還付金申請書類、ホームページの更新、DPE注文等々事務仕事や実家の御用聞きが待っている。
そろそろ昼だなと思った頃、郵便物が届く。
その中に1枚のはがきあり。ターホーからだった。
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八ヶ岳で一緒に働いていた頃のことが、ふーっと湧いてきた。
そうか、甲府に決めたのかあ。
若い頃はペンション経営するのが夢だとか言ってたけれど、40年間同じような仕事をしてきたのだからもう十分なのだろう。
大好きだった八ヶ岳ではなく、少し遠目から過ぎ去りし人生の原点を眺めるのか。それも悪くない。
私自身、八ヶ岳や南アには特別な想いがある。できることなら、あの高原に終の棲家を持ちたいとまで思う。
尤も、父母の問題やボランティアのことがあるから現実的にはここ横浜に骨を埋めることになるのだが...

昼食をさっさと済まして電話する。
相変わらず気さくな受け答えだ。
「甲府に住むとは思わなかったよ」
「この前伊豆に来てもらった時、オマエの話を聞いて決めたんだ」
甲府に住むという決断をしたのは私のせいだと言う。
まあ、確かに退職後の事をいろいろ話したのだが、それがきっかけになるとは思わなかった。
ペットと住めるタワーマンションの12階が、ターホーの終の棲家となる。
「犬が飼えると言うのが必須条件。八ヶ岳や南アが見えることが第二番目、横浜に出るのに無理がないというのが三番目」
横浜には高齢者住宅に入っている彼のお母さんがいる。昨年お会いした時にはとてもお元気そうだった。
「毎月一度は母の様子を見に横浜へ行くから、また会ってくれよ」
嬉しいね。勿論、私も甲府に行くだろう。
苦楽を共にしたのはたった1年なのに、その春夏秋冬にはたくさんの思い出が詰まっている。
また、なにかを共にできる友が戻ってきた。
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ターホーはまだ引き継ぎのため甲府と伊豆高原を行ったり来たりしてるらしい。
40年、お疲れ様。





ワーキングホリデイ中に就職が決まったヘジンさんは西東京市に引っ越すことになり、この7月でボランティア教室を卒業することになった。約10か月、私が担当していたので、やはり寂しい。N-1取得に向けて二人三脚だったからなあ。
ただでさえボランティアの日は夜遅い帰りなのに、つらつらと思い出していたら、寝るのが遅くなった前日の水曜。
明けて昨日、いつもより早く起きて小名浜へ出かける。今はなきヨット部時代の友人ノブシロの墓参だ。
毎年、一人車で出かけているが、今年はちょっと寝不足の上、出足が30分遅れてラッシュに巻き込まれた。
桧原湖や山形へ行くときもそうだが、車で東京を抜けるのは実に面倒だ。(帰りも)
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ただ、寒冷渦のおかげと言うか、この二日間は実に涼しく、往きの常磐道美野里PAで休憩したときには25℃。車の中よりずっとひんやりして気持ちよかった。

故ノブシロのことは毎年ブログに書いているので、今年は省略する。
事前にアダチ君から報告を受けていた通り、菩提寺に隣接したショッピングセンターは解体されて広い駐車場になっていた。同じ敷地にスーパーのヨークベニマルがオープンすることになっている。
震災以降、(いわき市)小名浜の復興は目覚ましく、港湾も商業施設もどんどん新しくなり、震災や津波、原発事故のマイナスイメージははた目にはほとんど感じられなくなった。
草葉の陰でノブシロもびっくりしてるだろう。
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ノブシロの墓はいつ行ってもきれいにされている。養子で天涯孤独だった彼の墓を信徒の方たちがしっかり管理してくださっている。信仰の篤かった彼の徳でもある。
亡くなって11年、高齢者の多い場所だけに生前の彼を知る人は年々少なくなっているだろうに。ノブシロを悪く言う人は皆無だ。
いつものように墓前に頭を垂れ、花を挿し、今年は暑いからたっぷりと水をかけてやる。
線香を灯し、大好きだった煙草を添える。
それから墓石の囲いにどっしり座り、独り言のように、ノブと会話する。

それにしても、今年はここまでの運転で思った以上に疲れた。まあ、年々長距離の一人運転は厳しくなってきてはいるのだけど、何十回と通ってきた小名浜への道がとても遠くに思えた。
毎年、帰りはタカハシの住む土浦か、小学校時代の友人ヤマガタのいる水戸で1泊するが、数年先はのんびり小名浜で1泊して、土浦でもう1泊かなあ。
体の動くうちは必ず来るからな。
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小名浜で昼食。”ららみゅう”等新しい飲食施設もいっぱいあるが、私はかつてノブシロが連れて行ってくれた食堂に行くようにしている。漁協職員だったノブが漁連直営の「みなと食堂」で食わせてくれた海鮮物は本当に美味しかったし、泊りがけで会いに行くと「丸克商店」の新鮮な海産物でご馳走を作ってくれたものだ。
復興後市場が移転して、この老舗には今では地元の人でもあまり来なくなった。
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土浦には16時近くについた。私が贔屓にしている土浦駅前のビジネスホテルはとても居心地がいい。
霞ケ浦やヨットハーバーも見える。部屋は明るいし、セミダブルベッドがまた快適だ。
友人タカハシは仕事を休んでくれて、17時に会うことになっていたが、さすがにこの日は疲れてしまってベッドに倒れこんで寝てしまった。タカハシから電話をもらわなければ朝まで寝ていたかもしれない。
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 ホテル アルファ・ザ・土浦からの眺め

取り敢えず18時に伸ばしてもらい、荷物を整理しシャワーを浴びる。
このホテルは四川料理店が別棟で建っており、本館と料理店の間のテラスにはパラソルが立ったテーブルがいくつかある。
滅多に飲まないビールを一口。涼風に身をさらしてタカハシを待つ。
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とはいっても、酒量制限があるのが現実。1/3ほど飲んで、駆け付けてくれたタカハシに任せる。
友人タカハシ、お前本当にいいやつだなあ。
彼の顔を見るとなんだかとてもリラックスできる。
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日が暮れていく霞ケ浦のハーバーを歩きながら、いろんな話をする。
マリーナハウスに着くころにはとっぷりと暮れていた。野外に置かれたベンチで夜風に吹かれながら語る。なんでこんなに語れるのか自分でも不思議だ。
それから、そぞろ歩いて市街の焼鳥屋へ。さすがに腹が減った。
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 さんざんご馳走になってしまった。

タカハシは週末に行われる土浦祭りの役員をしている。翌日も祭りの準備がある。
腹ごなしに、祭礼で設けられた御仮屋を見に行く。神をご招聘し、神輿にお乗りいただくための簡素な建物である。これについて話し始めるとまた長くなるから、別の機会にでも。
まあ、本来あるべき古式な儀式なのである。

ホテルに戻って、誰もいないテラスで時間を惜しみながらの会話。午前零時が引き際だった。
タカハシ、ありがとう。お前がいてくれて、人生が本当に豊かだよ。

家に帰ってきたのは今日の正午。しっかり渋滞にはまった。
リルはギャンギャン吠えながら何度もボディアタック。
息子や家内がいてくれたのになあ。ヨシヨシ。
ile
 どこ行ってたのよ~








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